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生い立ち ~幼少期から暗黒時代~

時はバブル真っ只中、日本の経済は希望に満ちていたであろう頃。後に泡沫の夢であった事など知る由もない、浮かれまくっていた日本のとある地に生まれた男が居た。


Daisuke a.k.a 佐藤大介
つまりこの俺だ。



山形の雪深い片田舎。
最上川の真横、川のせせらぎ、白糸の滝の打ち付ける音、舟下りの船頭が唄う民謡を聞きながら育ったロックとは無縁の幼少期。


トラック乗りの親父は演歌好き、トラック野郎の親父はよくデコトラのイベントに連れてってくれた。
と言うより自分が行きたかっただけなんだろうけど遊園地に連れてく感覚でトラック野郎の集会なんかによく連れてかれた。
おかげで演歌が染み付いて口ずさむ歌も吉幾三とかだった。
美容師だった母親は永ちゃんが好きで俺がお腹の中に居た時に胎教でキャロルとか聴かせて居たのかもしれない。
それが今ロックをやってる原点なのかもな。



知らんけど。



実家は自営業も営んでいておばあちゃんが支那そば屋、所謂ラーメン屋でじいさんは川の漁師だった。
蟹やヤツメウナギを捕って旅館や割烹料理屋などに卸していた。
土地柄、観光地でもあったので実家でも団体の宴会客を入れたりとにかくばあちゃんは料理人、商売人だった。
食いしん坊!万才にも出演した事ある。



ただ、決して裕福な家庭では無かった。
借金もあったし人が良過ぎるばあちゃんは断れない性格で色々のめり込むタイプだった。
中学生くらいの時だったか?今思えばねずみ講みたいなのにハマったばあちゃんがよく分からん20万くらいするマッサージベッドを買わされてそれを5人くらいに紹介して元は取ってたけど(そこは商売人)、ねずみ講の幹部みたいなジジイが家に出入りする様になって来る度に新しい商品がどうとかばあちゃんをカモろうとしてたからある日俺がブチ切れてそのジジイに「てめぇ何しに来た?帰れ!」って追っ払った事がある。
そこから二度と来なくなったけど。


まぁそんなこんなでお金に関しては無いのを知ってるから子供の頃からものすごく気を使う子だった。
なんか買ってもらう時もホントに欲しい物を言わず安い物を選んでいた。
弟は全くその気が無くワガママ放題欲しい物を買って貰ってた。
なんで弟は買って貰えて俺は我慢してんだ?って思った事もあったけど長男、初孫という部分で俺も家族や親戚からだいぶ可愛がって貰ってたから弟は弟でそのコンプレックスがあったのかもしれない。
なんでもお下がりだったし、兄貴の時と大分扱い違うじゃん!って思ってた部分もあるのかもな。


物心つく前から「歌」に興味津々でばあちゃん曰くテレビで民謡番組をやってると釘付けになって見入ってたらしい。
物心ついた頃には家族の前で歌を披露したりテレビで見た歌手の真似をして見せたりするのが好きな子だった。

それは小学校生になっても変わらなかった。
スキー講師の資格も持ってた親父は俺をスキーの選手にしたくて俺を地元のアルペンスキーチームに所属させた。
冬場は毎日のようにゲレンデに居た。
夏場は体力作りのため少年野球チームに所属して※あの頃はまだ過酷な練習をずっとやらされてた。

※あの頃
まだ根性論が普通でパワハラ、鉄拳制裁が当たり前の時代。練習が終わるまで水も飲めない、ミスったらコーチにぶっ飛ばされるなど…

そんな野球チームだったけど楽しみもあった。
夏休み中の合宿という名のキャンプ。
学校行事とは別に朝少し練習したらその後はレクリエーションや温泉に行って夜はグラウンドにテント張って泊まるという夏のイベントの1つ。
学校行事とは別だったけどほぼ全員が所属していたので学校行事みたいなもんだった。
女子はソフトチームでそのチームとも合同だったし。


そしてそこで必ずやってたお約束みたいなのが俺のアカペラリサイタル(笑)


遊びに行った先にでっかい広場があると必ず野外ステージがあったりする。
そこを勝手に使って俺のステージが始まる。
歌ってたのは当時流行ってたTMレボリューションだったりLUNA SEAだったり、globeだったり勿論ふざけてやってるだけだったけどみんな集まって客席で客のテイで見て喜んでくれた。
夜になると今度は俺のテントで夜の部が始まる。
後輩達に何時から始めるから告知して来いって言って監督やコーチ達が酒盛りを始めて見回りに来なくなった時間にみんな俺のテントに集まってまたリサイタルが始まる。

いつしか、今日ライブやらないの?今回は何やるの?とかみんな楽しみの1つとしてくれてた。
後輩も当て振りでバックバンドをやり始めたりキャンプ以外でもそういう集まりがあるとそれを求められた。
ゴー○デン ボ○バーより先に当て振りでライブをやっていた訳だ(笑)


小学生のおふざけに過ぎないけどそれが俺の中で快感だったのかもしれない。
人前で歌って聴いてる人が楽しんでる、ステージで唄う喜びの基本をそこで知った。



中学時代は所謂暗黒時代。
お調子者だった俺が他のお調子者達の勢いに圧倒され最初に溶け込むきっかけを失い調子を崩された俺はそのまま誰とも打ち解けれないまま冷めた態度で過ごすことになった。
元々人見知りな性格も相まって学校ではほとんど喋る事が無くなった。
そんな暗黒時代に俺は本格的に音楽にのめり込んで行った。

とは言っても最初は小学生の頃に聴いてた小室ファミリーからつんくファミリーに心変わりしただけで完全に※モーオタだった(笑)
深夜ラジオを聞くのが楽しみだった当時、突然ラジオから流れて来たサマーナイトタウンに衝撃を受けた。
思春期の※DT男子には刺激的だった。
勿論ASAYANも知ってたしモー娘はデビューまでの過程も見てた。
でもアイドルに興味が無かったしJポップでも宇多田ヒカルや倉木麻衣など所謂R&Bにハマってた時期だった。
そこからモー娘のCD集めまくってテレビもモー娘が出てる番組は全部VHSに録画してた。

※モーオタ
モーニング娘。のファン、オタクを指す言葉
※DT男子
これ、説明いる?そりゃ中坊だからDTに決まってんだろ!


中古CD屋でCD漁ってる時間が好きで、休みの日はチャリで2時間もかけて街に出て色んな中古CD屋を巡ってた。
その頃V系バンドにもハマりつつあった。
小学生の頃にテレビで見たLUNA SEAがずっと印象に残ってて久々に聴きたいなと思ってシングル、アルバムとお年玉を切り崩しながら中古で安い順に買い始めた。

最初に買ったのは確か「SHINE」と「SINGLES」だったかな?
知ってる曲が入ってるからって理由だったと思うけど聴き始めたらドンドン惹き込まれて行ってその頃から漠然とバンドがやりたい。バンドで歌いたいって思い始めた。
過去に遡るほど曲も見た目を激しさを増すLUNA SEAに完全に憧れを抱く様になり雑誌や写真集、VHSを見まくって化粧も自分で真似し始めた。

小学生の頃ふざけて母親にSHAZNAみたいに化粧してって言ってやって貰った事があったんだけど母親の古い感覚のメイク、初めての化粧にキモっ(笑)って言いながら爆笑してたけどカッコイイメイクってのを知って自分でやるようになった。
髪も短髪だったし100円ショップで売ってたエクステみたいなの付けて母ちゃんのスカート履いたりおばさんから貰ったレザーコート着たりそれっぽい格好して真似事をよくしてた。


そこからV系の世界観や色んなバンドを知る事になる。
そう、エクスタシーサミットのVHSを見てしまい俺の人生は完全にバンド一筋となって行ったのがこの時代だった。

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