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本棚

 私の部屋には、アンティークの木製の収納棚がある。三段式の一枚引き戸になっているのだが、私は本棚として使っている。

 ふと先日、この本棚を遠くから眺めた時、この本棚は私の頭の中身そのものだということに気づいた。

 私はそれなりに本を読むが非常に好みが偏っており、ジャンルも酷く限定されている。これまでで一冊も読んだことがないジャンルに、自己啓発本があることに気づいた。

 どうして私はこの手の本に全く興味を示さないのか自分でも分からないのだが、きっとはじめから諦めているからなのかもしれない。

 そんな本を読んだところで、自分がその本に書かれている通りにはなれない。そんな風になれるくらいであるなら、そもそもそんな本など読まないと決め込んでいるのである。

 この思いには私自身何の疑いもなく「そうだ、その通りだ!」と納得しているのだが、結局のところ良くも悪くも自分のことは自分がいちばん良く理解しているのである。

 自分で小説などというものを何本か書いているにも関わらず、今流行りの作家の小説を読まないのも如何なものかと思うが、やはり興味が持てないと手に取るまでにはいかない。

 決して向上心がない訳ではなく、興味が湧かないだけのことなのである。その表れと言っては何だが、私の本棚にはエッセイやシナリオ、ご贔屓さんの本しか収納されていない。
 もうこの本棚も新たな本を収納させる隙がない。
つまり、私の頭の中はもうパンパンなのである。

 フリーマーケットのサイトを見ていると、哀しくなるくらいたくさんの本が定価よりも安値で売られている。中にはつい数日前に発売されたばかりの新刊もあったりする。

 私は本との出会いは結婚と同じように思っているところがあるので、手にした本をそんな短期間で手放すことなど今まで一度もなかったし、手放そうという思いがそもそもないものであるから、そういう人の気持ちか理解出来ないのである。

 本を読まないよりは読んだ方が良いし、読まれないよりは読まれた方が良いに決まっているのだが、やはり、一度読んですぐに手放されてしまうのは、インターネット上での連載しかしていない身の上の私であっても、酷く物哀しくなるのである。

 もし、私の本が出版されたと仮定して、その本がすぐ手放されて叩き売りされていたらと考えると、何とも複雑な心境である。やはり最終的に本棚に残った本が、その人の頭の中なのである。その人を見た後に本棚を見ろ。きっとその人の本質が見えるかもしれない。

 こんなことを書いていたら一年後、私は初めての書籍を出版した。私の本棚に、そしてあなたの本棚に私の本が並んだのである。



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