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首の皮一枚

 新年を迎えて早くも十日が経った。

 ここ数年、元日の朝は特にこれといって何の楽しみもない。そんなことを言ってしまったら身も蓋もない話だが、大人になるということはそういうことなのかもしれない。

 子供の頃はそうではなかった。

 少なくとも自分宛に届いた年賀状を、ワクワクしながら手にして読んだものだったが、それも時代の流れと共に簡略化されて、今では筆まめな人しか私に送って寄越すこともなくなった。

 思えばそれだけで十分である。

 昨年、昔勤めていた会社の後輩が新型コロナで命を落としたと、年賀状が届いた後に一期下の後輩からメールで知らされた。

 私は亡くなった彼とはそんなに親しくはなかったから、会社を辞めた後、彼の名前も久しく耳にしたことはなかったし、その存在すら思い出しもしなかった。しかし、めでたくもないことで自分と関わりのあった人の名前を聞くのは、やはり悲しく切ないものである。

 そんな中、私はどこまで知っているの分からないにしても、とにかく直接話を聞かなければと思い、今も連絡を取っていると言うよりも、首の皮一枚で何とか繋がっている同期のメンバーや、連絡をして来た一期下の後輩に電話をしたのだが、どちらも電話に出なかった。
 電話で話したい旨をメールで伝えたが、その後、彼等から電話がかかって来ることもなければ、私がかけることもなかった。

 本当に一体、どうなっているのだろうか。数年に一度の電話だというのに。私には何とも理解しがたいことだった。

 直接電話で話をしたところで、後輩が生き返るわけではない。だからメールでもいいと言われればそれまでの話なのだが、私はどうしても詳しく、直接彼らの口から後輩の話を聞かなければ気が済まなかった。

 人がひとり死んでいるのである。他の要件とは違うのである。

 そんなもやもやを抱えて、昨年私は二〇二三年をスタートさせたのだった。暮れになって彼等に年賀状を出さなければならないと思ったが、私はもう彼等との付き合いをよそうと思っていた。もし年賀状が届いても、返事など絶対に出すまいと思っていた。

 なぜならいつも同じようなことしか書いて来ない上に、人の生き死にを責任を持って話そうとしてくれなかった彼等の不誠実さに、腹が立って仕方がなかったからである。

 そして迎えた二〇二四年、元日の朝。

 彼等から年賀状が届いていた。後ろに書いてある文面を見て、昨日までの私の心は容易くも揺らいでしまった。

「無理をせず、ほどほどに」 「体調はいかがですか?」そんな私を気遣う言葉が、珍しいことにたった一行でも書かれてあったからである。
 あんな薄情な奴等はもうこっちから願い下げだと思っていたが、そういう時に限ってこちらの気持ちが伝わってしまうものなのだろうか。

 元日早々、長年細々と首の皮一枚でも繋がって来た縁を自分から切るような真似はするまいと、彼等から届いた年賀状を手に、私は思い直したのだった。

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