あの夜、僕は「一生に一度の原稿」を全部消した
特別な取材ができた。
そんな手応えがあるときほど、かえって記事を書くのが難しくなる。
あのときは、まさにそうだった。
2018年1月18日、僕はPCとメモ帳を前に、頭を抱えていた。
サッカーの歴史に残る。
そう思いたくなるほどの取材成果があったからだ。
◇
2017年の年末、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボ。
僕は浦和レッズの阿部勇樹選手と、元日本代表監督イビチャ・オシムさんの対談をセッティングし、現地で取材をした。
オシムさんは在任中に脳梗塞で倒れ、志半ばで日本を離れていた。
それ以来、8年ぶりの再会。阿部さんがサラエボに到着し、恩師であるオシムさんと落ちあうまでの様子を、まずは「前編」という形で公開した。
反響は大きかった。
Twitterのトレンド上位を「オシムさん」「阿部勇樹」といった関連ワードが埋めた。旧知の選手、関係者からも、たくさん連絡をもらった。
それ自体は喜ばしいことだった。
だが一方で、反響はそのまま重圧にもなった。
後編に対する期待が、予想していたよりもはるかに高まっていたからだ。
◇
前編を公開した時点で、後編の原稿は影も形もなかった。
反響をみてから、書き方を考えたほうがいい。そんな悠長なことを、数週間前の自分は言っていた。
結果として、自分で自分の首を絞めた。
ここまでの期待に、どう応えたらいいのか。まったくわからなくなった。
オシムさんと阿部さんが再会したことは、多くの読者にとってサプライズだった。だから、公開した自分たちが驚くほどの反響があった。
ならば、である。後編でも同じような反響を得るためには、同じようなサプライズが必要。そう考えた。
ふたりが語り合う様子をつづるだけでは足りない。
そう思い込んだ僕は、文章の「構成」をもって、サプライズを演出しようと考えた。
◇
あらゆる文章は、書き出しが命だと思う。
僕は後編の冒頭に、サラエボからの帰国便に乗り込む直前、空港でワインを口にする阿部さんの様子を書き込んだ。
待ちに待った、阿部さんとオシムさんの対談の様子を読める。
そう思って後編の記事を開くと、すでにふたりの邂逅が終わり、阿部さんが日本に帰ろうとしている。
いったい、どういうことだ?
そう思わせて、記事に引き込む狙いだった。
まずは、当時在籍していたLINE NEWSの同僚に読んでもらった。
「びっくりしました」「こういう書き方があるんですね」。そんな反応をもらった。
よし、思った通りだ。
これなら、また読者にサプライズを提供できる。僕はようやく、胸をなで下ろす事ができた。
◇
事実関係に間違いはないか。
とくに企画ものの記事の場合は、当事者に内容を確認してもらうようにしている。
僕は、阿部さんとオシムさんの代理人である大野佑介さん、そして通訳として同行いただいた千田善さんに「最終稿」を送った。
阿部さんと大野さんからは、すぐに「いいと思います」と返答があった。
よし。あとは公開するだけだ。
早くも肩の荷がおりたような気持ちになった。
数時間後。千田さんからFacebookメッセンジャーで返答があった。
おそらく、問題はないだろう。そう思って、メッセージを開いた。
バクッ。自分の心臓の音が聞こえた気がした。
メッセージには、こうつづってあった。
「この構成は、違う気がします」
◇
僕はすぐに、千田さんに電話をかけた。
つながるなり、必死に意図を説明した。
ここまで高まった期待に応えるには、サプライズが必要。そう強調した。
千田さんのお答えは、とてもシンプルだった。
「ふたりが語り合う様子や内容を、記事を通してのぞき見できることこそが、読者にとって一番のサプライズなんじゃないですかね」
言葉もなかった。
たしかに、その通りだ。
「素晴らしい場面を演出できたわけですから、それを損ねないようにシンプルに書かれたほうがいい気がします。もちろん、最終的には塩畑さんが決めることだと思いますが」
事実関係の確認だったはずなのに、出過ぎたことを言って申し訳ない。
そう言って、千田さんは丁寧に電話を切られた。
◇
僕は思い切って、原稿を全部消した。
本末転倒とはこういうことを言うのだ、と思った。
特別な内容だからこそ、伝え方に悩んでいたはずなのに。いつしか「内容の特別さ」をものすごく軽んじた構成になっていた。
再会を実現するために協力してくださったみなさん、そしてなにより、オシムさんと阿部さんに申し訳ないと思った。
「これでいける」と思っていたこと自体も恥ずかしかった。だから跡形もなく、書いたものを消し去りたかった。
再びキーボードをたたく。
シンプルな構成、シンプルな表現につとめる。ほどなくして、原稿は書き上がった。
後編には、前編以上の反響が寄せられた。
◇
どう伝えるのか、を考えるのはとても大事だ。
だが、それはあくまで「伝えるべき価値」があってのこと。
目的と手段を履き違えてはいけない。
僕は原稿の書き方をあらためた。
表現はできるだけシンプルに。構成も、単純な時系列を避けつつ、できるだけわかりやすくすることを心がけた。
伝えるべきを伝えるために、記事はある。
表現の技巧めいたことが勝ってはいけない。ごく当たり前のことに、ようやく立ち返ることができた。
そういえば…。新聞社にいたころのことを思い出す。
先輩記者からも、同じような指摘を受けていた。
若い僕は「わかります」と言って、調子良くうなずいていた気がする。
むろん、わかったつもり、に過ぎなかった。
◇
それから2年半後。
noteに書いたある文章が、ネット上でたくさんのかたに読まれた。
きっかけは、コラムニストの小田嶋隆さんに紹介いただいたことだった。
このコラムでは、テーマ性と同時に「表現のシンプルさ」についても言及いただいていた。素直に嬉しかった。
ほぼ時を同じくして。
いろいろご縁があって、僕は「データストラテジスト」のみなさんと交流を持ち始めることになった。
「PV至上主義は悪なのか」が話題になった田島将太さん。データ解析で多くの一般企業をサポートしている渡邉真洋さん。
そしてYahoo!ニュースの編集者出身で、BuzzFeedやSmartNewsでは成長戦略やプロダクト企画を担ってきた山口亮さんだ。
彼らが新聞社、テレビ局の皆さん向けにしている講演の中で、ブレずに繰り返す内容がある。
「ユーザー体験の9割は、コンテンツです」
◇
ページのデザインも、ユーザーの行動を示すデータも大事だ。
だが、ユーザーがメディアに求めている一番のものは、やはり記事や番組そのものである。
持っている取材成果、伝えたいメッセージこそを大切にしてほしい。
デザインもデータも、それらを生かすためにある。
そうした田島さんたちの言葉を聞いて思った。
原稿における「伝えたい内容」と「表現や構成」との関係に、とても似ている。もしかしたら、同じ延長線上にあることかもしれない。
ユーザーにとって、何が大事なのか。
どんな体験をしてもらえば、ユーザーの心を動かせるのか。
千田さんや小田嶋さんは、それをきちんとわかっておられた。
そして田島さんも、渡邉さんも、山口さんも。
自分もかくありたい。強くそう思った。
◇
LINE NEWSでは、提携媒体の皆さんとのコラボ企画記事を担当していた。
自分が関わっただけでも200本以上。
そのたびに、媒体の担当者さんと「記事をめぐるユーザー体験」について、一緒に考えさせていただいた。何が価値なのか。どう伝えればより多くの読者に届くのか。
その後、僕はnote株式会社に移籍をした。
そこでは有名な深津貴之さんがCXO、すなわち「ユーザー体験の最高責任者」と自らを位置付けて在籍されていた。そして彼の元に、優秀なユーザー体験デザイナーが集っていた。
日々の会議で。あるいは、深津さんが登壇する社内ワークショップで。
コンテンツを軸に置いたユーザー体験について、いつも活発に議論が行われていた。僕も人生で最も濃密な時間を過ごさせてもらった。
記者として育った立場から、ユーザー体験を考える。
あるいは、ユーザー体験の一環として意識しながら、記事について考える。
議論や勉強を重ねる中で、自分だからこそできることが、おぼろげながら見えてきた。
そして今年の7月から、僕はニュースアプリ「グノシー」などを運営する、株式会社Gunosyで働くことになった。
◇
「一緒にユーザー体験を考えましょう」
代表取締役社長の竹谷祐哉さんをはじめ、皆さんがそう言ってくださった。
それが転職の「決め手」になった。
「ユーザー体験の9割はコンテンツ」という言葉を、あらためて思い返す。
価値ある取材成果を追い続ける、媒体の皆さんのお仕事が輝く形。
それこそが、ニュースプラットフォームが目指すべきあり方なのだと思う。
一方で、世の中はどんどん変わってもいく。
新聞社さんなどは、記事の有料化に力を入れている。
ニュースの定義自体も変わってきている気がする。YouTubeやnoteなどで活躍する個人クリエイターさんたちによるコンテンツの影響力も、これまで以上に増している。
そんな中で、広告モデルのニュースプラットフォームは、どうあるべきか。
どうすれば、よりよいユーザー体験をつくれるのか。
そうしたあたりの答えを、新しい仲間と一緒に探していきたいと思う。
記者育ちだからこその視点、強みを生かして。
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