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【書評】 「不可解」な謎は解けないが、「不可能」な謎は解くことができる。──倉知淳『ドッペルゲンガーの銃』(文春文庫)

祝・文庫化! 単行本刊行時、「小説すばる」2018年11月号掲載の書評に大幅加筆しました。

 ミステリをミステリたらしめるものは何か? 魅力的な謎だ。謎がなければ、ミステリ名物「合理的な解決」も存在しない。では、謎の魅力を評価するうえでもっとも大事なポイントは? それは「不可解」性だと、倉知淳は最新刊『ドッペルゲンガーの銃』で示す。
 女子高生ミステリ作家の灯里とキャリア警察官僚の大介、水折家の兄妹コンビが謎に挑む、中編三本が収録されている。「ねえ、兄。何か面白い事件はないの? とびきり不可解で思いっきり不思議な、謎に満ちた事件。できたらそんな奇々怪々なのがいいんだけど」。倉知節の効いたチャーミングな弁(毒)舌を振るう灯里は、新人賞でデビューしたものの早々とスランプに陥り、現実に起きた「面白い事件」を小説にしてしまえとたくらんでいる。ポンコツ天然な兄はいつもあっさりほだされて、捜査中の事件の内実をリーク。という毎回お約束の掛け合いが、毎回楽しい。
 全三篇の魅力的な謎の中身は、タイトルに示されている。「文豪の蔵〜密閉空間に忽然と出現した他殺死体について〜」「ドッペルゲンガーの銃〜二つの地点で同時に事件を起こす分身した殺人者について〜」「翼の生えた殺意〜痕跡を一切残さずに空中飛翔した犯人について」。そうした文言通りの内容を、灯里はまず最初に大介から話で聞く。この時点では、灯里の言葉を借りるなら「不可解」な謎に過ぎないのだ。しかし、灯里は大介の尻を叩き一緒に事件現場へ出向く。高校の授業の一貫で警察官の職業体験をしています、と詭弁を弄して関係者に聞き込み実況見分。全ての情報が出揃ったところで、灯里は大介に推理を披露し、反論に毎回ひれ伏す。
 第一編において実況見分と事実関係の吟味を終えた後に現れる、灯里のモノローグが象徴的だ。<おかしい。/灯里は首を傾げる。/不可解である。いや、不可解というか、不可能だ>。つまり、探偵役と思われた人物の推理の失敗によって、「不可解」な謎が「不可能」な謎へと変貌を果たすのだ。一見すると謎の難易度が格上げされたように感じられるが……実はその変貌こそが、真相究明にとって必須のプロセスだった。
 注目すべきは、「不可解」と「不可能」という言葉の意味の違いだ。『広辞苑 第七版』から引用する。

 ふか-かい[不可解](複雑または神秘的すぎて)理解ができないさま。わけがわからないこと。怪しいこと。「─な言動」
 ふ-かのう[不可能]可能でないこと。できないこと。「実現が─な計画」

 いわば「不可解」な謎とは、事実関係の周辺に深い霧がかかっており、解くべき謎は何なのかがわからない状態なのだ。それに対して「不可能」な謎は、解くべき謎が明確化しているからこそ、解けないという心境に至っている。「不可解」から「不可能」への変貌は、難易度の変化ではなく、謎の質の変化を意味している。
 慶應義塾大学環境情報学部教授でヤフーCSOの安宅和人は、著書『イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」』(英治出版)において、優れた知的生産の極意は「イシュー(の見極め)からはじめる」ことだと記した。

<「何に答えを出す必要があるのか」という議論からはじめ、「そのためには何を明らかにする必要があるのか」という流れで分析を設計していく><問題はまず「解く」ものと考えがちだが、まずすべきは本当に解くべき問題、すなわちイシューを「見極める」ことだ>

 灯里が大介とともに行ったことは、イシューを「見極め」るための一次情報集めだ。その情報を元に、遅れてやって来た真の名探偵がイシューを「見極める」。そして、「不可能」な謎の根幹をなす「一番のネック」(灯里の表現)を、「突き詰めて考え」「発想を逆転」させる(遅れてやって来た真の名探偵の表現)。その結果、「不可能」が「可能」となり、やがて唯一無二の「合理的な解決」が現れる。同じ情報を手にしていたのになぜ思い至らなかったんだ、と読み手は必ず脳内で絶叫することとなる。
 おそらく世の中的には表題作の評価が一番高いのだろうが、個人的には第一編に心を持っていかれた。もしもあなたが、大泉洋を世に送り出した北海道発のバラエティ番組『水曜どうでしょう』のファンならば、きっと同じ気持ちになるはずだ。なぜなら「どうでしょう」の長い歴史の中でも極めて印象深いあるエピソードが、この一編のトリックとダイレクトに結びついているのだ。知っていたのに騙された──この身をよじりたくなる感覚は、優れたミステリの証だ。
「不可解」な謎は魅力的ではあるものの解けないけれど、「不可能」な謎は解くことができる。「不可解」→「不可能」→「可能」。倉知メソッドと呼ぶべきこの三段活用とともに、本作の魅力を末永く語り継いでいきたい。

※倉知淳『ドッペルゲンガーの銃』は、文春文庫刊。https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167917685

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