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努力って何か

「頑張りなさい。そうすれば報われるから。」

何回この言葉を聞いただろうか。努力=いい事、努力=報われること。
努力が全て結果に繋がる。

ところが、実はこの概念は全人類共通のものではなくアジアの人々に染み付いている概念なのである。

逆にアメリカ等では、試験制度やIQ重視型から読み取れるように、努力=素晴らしいことではない。
寧ろ、才能が結果に繋がる、という考えである。

一様に見ると、アジア系の方が努力を認めてくれて、欧米の方が才能がなければ認めてくれない、と言うように感じられ、一見アジア系の方が寛容なのでは?と思える。

しかしながら、最近私は別の考えも持ち始めた。

結局、努力=素晴らしいことと言ったって、結果が報われる世の中であるし、元々の才能によって努力しなければいけない幅だって変わってくる。

よくある日本人の典型的な考えとしては、努力すれば報われると信じて努力して、結果が出ずに落ち込み自己嫌悪に浸る。

しかし、努力が全てなのか?
才能や周りの環境は関係ないのか?

私は関係あると思う。

かと言って、元々才能が決まっているから全く努力しなくてもいいという訳では無い。
じゃあ、どうすればいいか、というと私はまず自分に限界があることを知ることから始めるべきだと思う。

例えば美容。

メイク、ダイエット、整形を繰り返せばある程度の顔面にはなれるが、世間的に「美しい」とされる概念に届くかは、元々の遺伝子が深く関係してくる。

性格だってそうだ。

自分の悪い所を改め、周りの人々を見習い、善行を繰り返す。ところが、人間にはやはり「核」となる性格が誰にだってあるし、他の誰かに合わせたところでそれは本来の自分なのか?

「誰かの真似をした偽物」なのではないか?

それ以外に出来ることとしては、たまには周りのせいにしてもいいのではないか?という事である。

日本では自慢やself serving(成功を自分の内面のおかげだと考え、失敗を周りの環境のせいだと考えること)はタブーだとされている。

ただ、欧米ではタブーとされていない。

ここで勘違いしないで頂きたいのが、「何も私はアメリカの文化は素晴らしい!!」と言っているわけでは全くないということである。

多くの日本人は自らの失敗を改め次回の経験に生かし、より能力を向上させるという意思を持っている人が多い。私自身も努力が1番大切なことだと思っていたし、教育されてきた。

だが、結局は一人一人の人間がそれぞれ幸せな人生をおくることが1番なのではないか?

努力、努力と自分に言い聞かせ、成果が出なかった時自分の努力が足りなかったせいだと自分を卑下する。

時には周りのせいにしたっていいのではないか?

人間関係だってそうだ。
ある人との関係が悪化したとして、100%自分に原因があるのか?

例え99%自分に悪があったとしても、必ず1%は向こうにも非がある。

努力をするということは勿論大切なことだ。
だが、努力至上主義になってしまい、努力しないやつは愚かだとか今までの自分を全否定するようにはなりたくないと思う。

もし自分ばかりを責めている人がいたら、少しでも私の考えが届いてくれたらな、と思う。

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