社不な話

いきなりであるが、私は社会不適合者だと思う。

1番の理由は、集団行動が出来ない事と、コミュニケーション能力の低さに起因する。

私の場合であれば、2、3人で話すことは出来るが、特に5人以上になると会話をするのが困難になる。

普通の人であれば大して考えない様なことを考えてしまうからである。それは以下の通りである。

・どのタイミングで会話に入ればいいか分からない
・終始表情や反応に気をつかっているので疲れ方が半端ではない
・自分の話なんて誰も聞きたがらないのではないか、と考え話ができない
・傷つくことを言われても場に水を差すと考え、笑って済ませてしまう
・共感できなくても「分かる」と言ってしまう

他にも色々あるが、以上の通りである。

また、今までの人生において人間関係の幅が極端に狭いため、よく同窓会などである「〇〇君ってこうだったよね」「〇〇ちゃんって今はこう変わったらしいよ!」等の話についていけない。

これはわかる人には分かるが、相当の苦痛である。

そして何よりもいちばん辛いのは「気を遣われている」とわかる時である。要らないことに体力を使って、暫く話すとガスが抜けてしまい、急に黙り込み、表情が無くなる(これも社会不適合者ゆえである)。
しかしこれらの事は全て誰のせいでもなく、自業自得であるゆえ放っておいて欲しい。

ところが優しい友人たちは「気をつかって」私にあれやこれやと反応をしてくれる。

それが辛いのである。

もしここまで読んでくれた人がいるのなら、私はなんて自分勝手なんだろうと考えると思う。それは私自身も充分承知で言わせてもらう。

気を遣われることによって、より自分が社会不適合者だと認識せざるを得ない苦しみ

があることをわかってほしい。

これはもう嫉妬と受け取ってもらって構わない。
私は羨ましい。何も言えず大人数の中笑っていられる人が。

人には向き不向きがあって、グループを楽しめる人、個人(または2人など少人数)を楽しめる人など色々な人がいる。

それは勿論個性と言えるが、社会において有利なのは前者ではないか?

特に日本社会は個よりも団体を重視し、団体行動を求められる。

この前提において社会不適合者、通称「社不」である私は非常に世の中を生きづらいのである。

それは、簡単に「個性」とは呼んで欲しくない。

_______________ここまでダラダラと弱音を吐いてきたが、私に死ぬ勇気はないし、未来にまだ希望を持っている。だからこそ、現状のまま立ち止まってはいられない。

生まれながらの性格は変えられないのだから、この性格を持ちつつ、生きづらい世の中でなんとか生きのびていこうと思う。

今回は話のオチがなくなってしまったのだが、これにて終了。

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