見出し画像

嫉妬の扱い方

嫉妬は厄介です。嫉妬をしてしまう人は、それによって時に身を崩します。じゃあしなきゃいいじゃないかと頭ではわかっていても、なかなか止めることができません。
しかも、嫉妬の扱い方を教えてくれる人はそう多くはありません。多くの人は恥ずかしいことだと考えていて開示しませんし、またはまさに今も嫉妬心を抱えているので客観的になるのも難しい。またそもそも嫉妬心がそれほどない人は、いったいなぜそれほどに人に嫉妬するかがわかりません。
嫉妬心があり、そこに悩み、葛藤の末、ある程度乗りこなせるようになった人しか嫉妬についてのアドバイスができないために、おそらく嫉妬の扱い方の話が世の中に広がらないのだと思います。

嫉妬は「自分が欲しかったものを持っている人に対しての感情」と言えるのではないでしょうか。
ですから自尊心が低い人は、嫉妬心を抱きやすい傾向にあると思います。 特に嫉妬心がこじれるのは「自分自身に対しての評価が高いのに、社会からの評価は低くそのことに納得がいっていないタイプ」の人です。
確かに社会の評価はずれることがあります。素晴らしいアーティストが生前評価されなかった例はたくさんあります。
多くの場合世間はそのようなものだという折り合いをつけ人は生きていきます。しかし、社会は正当な評価をするべきだと強く考えそこに執着するタイプの人がいます。そして正当であれば、きっと自分は評価されるはずだとも考えています。

この心理の興味深いところは「どこかに正当な評価はある」と考えているところです。しかし、少し離れてみれば客観的な正当さなどないことに気が付きます。どのような正当さもある評価指標に影響され、その評価指標は主観で決まっています。
いくら自分が頑張ってもそれを評価できる人がいなければ評価はされないわけです。自分は優れていると思うのは勝手ですが、相手があなたを優れていると思うかどうかは相手の勝手でもあります。
しかし、嫉妬に囚われるタイプはこの「ひとそれぞれ」にたどり着けません。どうしても誰かに評価させたい。どうしても認めさせたい。自分で自分を認めるだけでは納得できない(おそらくは自分で自分が認められなくて乾いている)。そうして人を捕まえてなんとか評価させようとしています。

さて、では肝心の嫉妬心はどう扱えばいいのか。 端的に言えば「認めること」だと思います。
しかし、これこそが難題で自分で自分の嫉妬心を認めることは、ながらく嫉妬を覆い隠してきた人にとっては大変な作業です。なにしろあの許せないものも、あのしょうもないものも、どうしようもない世間も、全部自分の嫉妬がそう見せていたと気づくことだからです。 しかしこの「認めること」を通らずに嫉妬心は扱えるようにならないと私は思います。
どうせ嫉妬してしまうなら清々しく「ああ羨ましいなあ」と大声で言ってしまう方がよいです。そんな自分が披露できるようになれば嫉妬心がいつの間にか小さくなっていることに気がつくのではないでしょうか。

最後に私のおすすめは 「好きなことを見つけて、夢中になる」 です。嫉妬はよそ見ですから、何かに夢中になってしまえばよそ見の時間も減ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?