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スポーツとお金儲け

スポーツ界はなぜ収益化に意識が向かないのか、またエンターテイメントを充実させないかについて質問があったので私なりに考えを。日本のスポーツは教育から始まった側面が強く、現在も大きな団体は学校の団体であり、またスポーツ庁自体も文部科学省に属している。当然、教育関係者も多く教育の色合いも強い。

素晴らしい点は、部活による教員の負担、体罰、指導の質のばらつきなど問題点はあるものの、これほど安価でスポーツ教育が多くの人に提供されていること。そのような国は私が知るところない。日本においてスポーツとは教育であり、何かに向けて努力することであり、何かを達成することであった。

一方、欧州ではスポーツは余暇を楽しむものとして、アメリカでは観る娯楽の対象として発展したように思う。そうなると関係者もアメリカではビジネス界の人間が多く、欧州でもそれプラス市民活動が盛んな印象を受ける。要するに教育はスポーツの中の一部でありそのものではない。そうなると、当然スポーツをビジネスとまではいかなくても、一つの産業として捉えている人は多い。

日本のスポーツが持つ癖は以下の三つあるように思う。
1、スポーツでお金儲けはよくないと思っている
2、マーケットを気にしていない
3、競技力による序列が強い
私は教育界の文化と関係しているように思うけれども、実際にはよくわからない。

スポーツでお金を儲けてはならないと考えは根強い。一つの理由は補助金ベースで運営されるので、関係者の給与が公費からでていることが大きい。つまり自分の食い扶持は他にあるので、スポーツそのものから稼がないと自分の給与が出ないという状況にいる人が少ない。結果、あくまでスポーツは無償の行為となっているし、それが前提となっている。

マーケットの圧力にもさらされにくい。四半期ごとの決算も、株主総会もない。達成目標もはっきりしていない。透明性が担保されないのでガバナンスが効きにくい。

ビジネスであれば過去の実績はどうあれ現在のパフォーマンスがそれなりに数字で出るので、その実力による序列ができるが、スポーツは基準がはっきりしないので、昔の競技力による序列が引退後も残る。基準がないので、実力が見られず、競技に対しての愛情のような基準で判断される。

かなり乱暴に言ってしまえば、自分の食い扶持が確保されている人が無償の行為で行っているために責任の所在が曖昧で、補助金が下りてくるのでリスクをとって何かを変えるというincentiveが働かない。また担当者も責任を負わされるような対価をもらっていないために、無理にやっていて誰もハッピーではない。

スポーツ産業が大きくなることにピンときていないスポーツ関係者は実は多いと思う。一方で、大学への助成金が減らされたり、公務員改革や、totoくじの廃止などには敏感だと思う。市場から得るお金は嫌がるが、公費をもうらうことには抵抗がない。だから、スポーツはずっと政治と距離が近かった。

さて2020を終えた後、社会保障改革など、難題が待っている中、スポーツへの助成金が他より必要だと言い切るのは難しいだろう。徐々にマーケットの圧力にさらされる中、生きのこれる協会とそうではない協会が二分するように思う。要するに教育から、経営に、意識を変えられるかどうか。

とても幸福なことに、スポーツに興味を示してくれている他業界の方は多い。これを機にスポーツがよくなるといい。鍵は顧客から始めること、違う世界の人間を受け入れること、無償の行為の奨励から放たれること、だと思う。

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