見出し画像

言葉とリズム

私は岡ノ谷さんの言葉が生まれる前には歌があったのでという説に興味を持っている。少なくとも最初は何らかのリズムと抑揚で意図を伝えていたのではないかと思っていて、その影響は今もあると思っている。私たちが言語を扱う時、純粋にそれが活字的だということはあり得なくて、無意識にでも人は言葉になんらかのリズムを感じているように思う。

自分自身が、書くときも、その言葉が持つリズムや語感をぼんやりとおそらく意識をしていて、それがうまくいったときの言葉ほど響きやすい。つまり言葉の意味だけではなく、読んだ人が頭の中で言葉を口にしてみた時に印象が残るような書き方が癖づいているのだろうと思う。

例えば「努力は、夢中に、勝てない」という言葉だけれど、最初は「努力よりも、没頭した方が、強い」だった。けれどもそれでは、語感もチグハグだし、リズムも最初と真ん中が長くて最後が短くなる。口にしながら考え、同じリズムで繰り返されるものに変えた。

このような文化的、民族的、言語的に、響くリズムというのがそれぞれ違っていると思っている。日本人の根底にあるのはやはり、5,7,5で、民謡も、絵本も、子供の時に親しむ様々な言葉がこのリズムで構成されている。だから、言葉もこのリズムで構成されたものは響きやすい。

言葉とは立体であり、音声的である。私たちが言葉を周辺の人の喋る何らかの揺らぎやリズムとしてまず習得し、その後活字の習得に進むプロセスを考えても、ただの活字として、意味だけを認識しているとは思えない。どこか三次元的な音声として、言葉を読んでいるときも人は認識しているのではないか。この人生の初期に触れていた抑揚、リズムを呼び起こすような言葉はやはり人の奥底に響くのだろうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?