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信じたいことと現実

日本という国を病は気からという観点で理解するとわかりやすい。病は気からの解釈を広げると、現実はどうかよりも、自分がどんな気持ちでいるかを重じていると捉えられる。現実とは自分が何を信じているかで変わっていくと言えるかもしれない。メリットはプラセボが効かせられるということ、デメリットは見たい現実しか見なくなるということだ。

選手に自信をつけさせようとしてコーチが少し早いタイムを伝えることがある。選手が疑わなければ自信がつくが、疑えば逆効果で、さらには選手の体感時計が狂ってしまう。病は気から作戦は、匙加減が狂い加速すると信じたくない事実から目をそらし信じたい情報だけをもとに行動するようになってしまう。

選手が病は気からモデルであれば、コーチは虚実を混ぜ合わせながらリードする。選手が現実重視モデルならコーチは選手に現実を伝えて考えさせることが望ましい。前者は双方にとって疑うことが効果を半減させるのでどんどん一体となっていく。後者は反対に一定の距離をとってお互いを観察しあう。

最悪のケースについて話をしておくというのは危機管理上の鉄則だが、日本ではそれは表では話されず、むしろこうでありたい、こうであってはならないという話が前面に出る。それは最悪のことを話すと本当にそうなってしまうのではと国民がどこかで恐れているからではないか。そしてそのような認知モデルが前提とするなら、希望だけを語るのは一定の合理性があるように思う。

もし病は気からを全員が信じているなら、合理的な意思決定もそれに一定左右される。ところがこれは現実重視主義と相性が悪い。がんの告知で言えば、伝えて自分で考えて自分の人生を選べることを重んじるか、知った後の気分で残りの余生を生きる悲しさを重んじるかで、根本の思想が違う。

日本という国は、優しい嘘の範囲が大きい。これを二枚舌という人も、本音と建前と呼ぶ人もいる。つまり伝える側が『事実+伝えたあとの相手の気持ち』の両方に対し責任を感じていて、特に伝えることで相手が信じていたい認識を粉々にするような事実の伝達は避ける傾向にある。

私たちはこの癖を理解し常に注意を払っていなければならない。事実を話している相手にきちんと敬意を払う。夢を見せようとする相手の話はちゃんとその分を割り引いて聞く。伝達する側では私はこの国においては、合理的な本音の世界と、共感ベースの建前の世界のバランスを取る事が大事だと思っている。

山本七平が空気と呼んだものは、今も変わらずこの国の上空に漂い続けている。

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