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ノリとバラエティ

私は音楽や芝居の世界がわからないのでそちらはのぞいて、バラエティの世界のお話をさせていただきます。 アスリートの頃に番組に出演したことが数度ありましたが、テレビは異常に「ノリに卓越」しています。

「ノリがいい」を定義すると「局所的な場に生み出される文脈にうまく絡めること」だと思っています。面白さは文脈との角度と意外性だと思っています。その点では笑いと恐怖はよく似ています。

ノリは別に芸能界でなくても他の世界にもありますが、芸能界ほど高度で洗練されて、複雑なノリの世界は私は経験したことがありません。

テレビに出る芸人さんたちは異常なぐらい面白いです。一般人と全く違います。そんな場で私たち素人が望まれているのは「くだける」または「キャラが立つ」だと感じました。

特にアーティストやアスリートの場合は、「偉い人がこんなバカなことを」「あんな有名な選手がこんなにあけっぴろげに」というのが受けますし、それを期待しながら見ている制作者の方がたくさんいます。または天然ぽい感じですかね。

素人が経験するバラエティの場は、ノリを生み出すプロたちと、料理される素人という構図なのだろうと思います。 料理されると言うとネガティブに聞こえますが、これは決して気分が悪い話ではなく、気持ち良いです。歌がめちゃくちゃ上手い人たちが、自分がまるで歌が上手く見えるようにハモってくれる世界なので、勘違いしてしまいそうになるぐらいです。

しかし、お分かりかもしれませんがノリは局所的な場の文脈ですから、ノリを意識するなら、空気(同調圧力)を意識せざるをえません。 ノリを生み出す力は空気を生み出す力とも考えられます。 ですから強いノリが生まれた世界では、同時に強い空気(同調圧力)も生まれます。そして日本人は空気に弱い。

番組に出ると、慣れていないとなんとなく乗せられるわけです。ともするとやりすぎてしまう。番組を終えて振り返ると不思議な気持ちになります。あれって自分の言葉なんだっけと。

ノリが強い世界では、その集団の外の人にとっては、それが自分の自由意志かよくわからないところがあります。程度の低いノリの世界で言えば、学生の飲み会が近いと思います。 一気コールがかかり、なんとなく断ったら寒いと言われそうで、飲むんだけれど、それって自分の意思だったかよくわからないというやつです。

高度なノリの操り手は、同時に空気を操ることもできてしまいます。それを笑いに使うこともできますし、他に使うこともまた可能なのだろうと思います。

学生時代に見たいじめの入り口は、面白くて空気を操れる人間がある人を「寒い」側に置いていくことで発生していました。不思議なもので一旦そのようなレッテルを貼ると覆すのが難しくなり、何を言っても面白くないというノリが出来上がってしまいます。

ノリのそれ以外の利用方法として私が観察したことがあるのは、合コンやナンパの場です。ノリは場の空気で思わずそうさせる力を持っているからです。

個人主義、自分による意識的な意思決定を重んじる時代ですから、ノリが暴力的に感じることもあるでしょう。

河合隼雄は場面を転換させる存在を「トリックスター」と呼び、その武器は「笑い」であると書いています。「トリックスター」は埒外のものです。アウトサイダーであり、常識から外れており、孤独の存在です。ところがアウトサイダーが多くなると、もはや埒外ではなくなります。埒外ではないアウトサイダーはもはや権力者です

笑いを生み出す力は、ノリを生む力であり、空気を生む力であり、人を操る力でもあると思います。最近ぼんやりと眺めていて、あそこは特殊なノリがあったなと思い出しました。

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