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子供達が社会で生きていけるようにするには、社会を体験するしかない

長文ファンの皆様おはようございます。

教育の目的は様々ですが、役割の一つに「社会で生きていけるようにすること」があります。

例えば目的を海で泳げることだとします。姿勢の作り方、水のかき方など、実際に泳ぐ際に必要なことを学ぶ機会も必要ですが、どこかのタイミングでは水の中に飛び込んで実際に泳いでみなければなりません。できるとわかるは違うからです。できるためにはやってみるしかありません。

これを教育に当てはめると、どこかのタイミングで実際に社会でやってみなければならないことになります。

体験において最も大事なのは「リアル」であることです。VRで水泳を体験することも可能でしょう。しかし、結局最も学びになるのは海で泳いでみることです。

なぜ海で泳ぐことがリアルかというと「溺れて死ぬかもしれない」からです。

実社会も同じで危険がなければ実社会ではありません。配属された部署に嫌な奴がいるかもしれない。鬱になるかもしれない。起業が失敗するかもしれない。騙されるかもしれない。降りかかるトラブルが存在することが社会の現実です。トラブルを取り除いた形での体験は、社会の現実をほとんど再現していません。

就職したタイミングでいきなり社会を体験するのは少し遅く、かつ混乱も大きいように思います。できればその前に現実そのものではないにしても、少しは現実感のある社会を体験させたい。

傷つかないように安全を確保した状態で育てることは、育てられている間は幸せかもしれません。しかし、それは実社会で起きえる危険への対処、危険な時に揺れ動く自分の心の対処を学ばないことでもあります。一度も海を体験させないまま、海に放り出すようなものです。

最も残酷だと感じるのは、安全圏でしか生きてこなかった人は自分の力で外に出ていけなくなるところです。子供の頃の親や先生の庇護のもとで体験した見えない檻の範囲でしか生きていけなくなる人生です。

問題は「いつ?どの程度?」です。答えはありませんが、ほとんどの場合、親が想像しているよりも子供は早く現実を体験したがっています。安全を確保することは、誰かのコントロール下に置かれるということですから。

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