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痛みと味わい

人生を本当に味わうには、私は痛みが必ず伴うのではないかと考えています。例えば自由を本当の意味で謳歌するには、不自由とは何かが身体を通して理解できなければなりません。「ショーシャンクの空に」で主人公が空に向かって両手を上げた時の開放感は、やはり何かに強く束縛された人しか分かり得ないのだと思います。

これは人生では必ず問題が生じるという意味ではありません。確かに多くの人生にはなんらかのイベントがあり、その都度大変な思いをする確率は高いと思います。けれども何事もなく人生を終える人も中にはいるでしょう。私がお話ししているのは人生を味わうためには、痛みが伴うということで、いわばそれらは表裏の関係にあるということです。

ある程度年齢を重ねた方に人生の深い学びを聞くと、大体が失敗や挫折や転落の際に得られています。なぜそのような痛みを感じる状態で深い学びが得られるのか。それは痛みを伴う困難には、今まで見えていたものを否定し、見えなかったものを見せる作用があるからだと思います。さらに余裕のある状況であれば否定していたはずのことが、否定できない形で目の前に突きつけられるからだと思います。頭でわかることと体で受け止めることは質的に違うものです。

痛みを伴う学びを生み出す方法は簡単で、自分の身を賭け、自分の身を晒すことにつきます。リーダーになった瞬間に大きな戸惑いを持つ人が多いのは、こうすればいいのにと批評することと、そう決定し責任を持つことの間には決定的な差があるからです。同じように教育や人生設計の話を聞くよりも、その人の資産がどう振り分けられているか、その人は子どもにどんな教育を施しているかの方が如実に本音を語ります。そこにはリアリティがあるからです。

人生を本当に味わう上で痛みは避けて通れません。逆に言えば痛みのない人生は味わいがないということでもあります。平穏で安心できる人生を生きていながら、なんとなく生きている実感がないことはあると思います。どちらがいいということではありません。選べばいいだけなのですが、実際のところはほとんど個人には選べる余地はなく、予想外のところからいきなり痛みを伴なう出来事がやってくるのが人生です。

これは私のただの願望かもしれませんが、痛みこそが本当の意味の前向きさをもたらしてくれると思っています。優しさは痛みを知る人が、希望は絶望を知る人の方が、信頼は裏切りを知る人の方が、よくわかっていると思います。その感情が鮮明に捉えられるようになるために、やはり向こう側を知る必要があるのだと思います。

今痛みの真っ最中の方も、痛みがまだ癒えない方も、これを乗り越えた先に人生の味わいがあると私は思います。北海道のべてるの家で当事者研究というものがあります。その根本に「同じような困難を抱える他の誰かのために私は私を分析する」という思想があります。自分のためだけに痛みに耐えることはできませんが、誰かのためになら耐えることができます。

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