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音楽で生きて行く!

こんにちは。

『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。

今回は、僕の永遠の課題でもある『音楽で生きて行く!』と、意志を固めた時のエピソードを書いてみたいと思います。

話は25年前、中学校の卒業時期までさかのぼります。

・・・

1.ギターとの出逢い

ピアノを辞め、進路を決めるにも夢も目標もなく、俗に言う不良仲間と遊んでいることが楽しい時期でした。

しかし、その出逢いは突然やって来たのです。

「BABY BABY BABY~」

ロックギターをかき鳴らす、布袋寅泰さんを初めて観た瞬間でした。

それまではロックサウンドが大嫌いでしたが、衝撃が走りました。

「何だこの曲!?かっこいい!!」

それをきっかけに、“バンド”という世界を知る事になりました。

元プロミュージシャンだった、祖父のギターを倉庫から引っ張り出し、見よう見まねでギターの練習に明け暮れました。

ピアノの経験も手伝い、楽器は違うものの曲をどんどん弾ける様になって行く自分が楽しくて仕方がない。

同時に、どんどんバンドの音楽にのめり込み、ギターを弾いている時間が、生き甲斐を感じる時間に変わって行きました。

2.LUNA SEAとの出逢い

ある日、父の買い物の付き合いで行ったショップで、偶然にも『LUNA SEA』のRYUICHIさんとINORANさんと出逢える機会がありました。

完全にプライベートで来られていたので、少しバンドの話もさせていただきました。

RYUICHIさんは完全にTVで見たままの人で、目をキラキラさせながら買い物を楽しんでいました(笑)

僕は憧れの人に初めて出逢えた興奮で、バンドへの憧れは益々加速しました。

『自分もこう成りたい!絶対に音楽で生きて行く!』

何の根拠も無かったけれど、今までに感じた事のない熱いものが込み上げて来ました。

3.進路

中学卒業後は、高校に行く気は全くありませんでした。

高校に行ったところで、音楽に関係ないと思っていたし、“ロックの世界”に進みたい僕にとっては高校に何の価値も見出だせない。

しかし、それまで何一つ強要しなかった両親が高校位は~と話しをして来ました。

当時はその意図を汲み取ることができず、高校に行く位なら働いてお金を稼ぎ音楽活動に充てたい!と反発もしましたが、その反発は流される様に、勉強をロクにせずとも、簡単なテストで入れるレベルの高校に入学しました。

高校生活は思っていた通り楽しいと感じず、バンドがやりたい!音楽で生きたい!その気持ちは強くなるばかりでした。

4.高校入学後

高校生活は、新しく出来た友人と遊ぶ事はそれなりに楽しかったけど、バンドで本気で~と考えている人とは中々出逢えず、もどかしい時間を過ごしていました。

ただ、一つだけ高校を“続けたいかも”と思える出来事がありました。

国語を担当していた先生が元々バンドマンで、若かりし頃は本気で音楽のプロを目指していた!そんな話を耳にしました。

すぐに興味が沸き、早速コンタクトを取りバンドの話をしました。

軽音部が無い学校なのに、その先生に『学校でバンドがやりたい』と伝えると、教室に楽器のセットを持ち込んでくれ、手作りのリハーサル場所を提供してくれたのです。

何より、気持ちを理解してくれる大人が近くにいた事が、とても嬉しかったのを覚えています。

早速、学年で楽器経験がある人達に声をかけ、一曲だけ合わせてみる事にしました。

個人練習もたくさんして、バンドが出来る喜びに胸を踊らせていました。

..しかし、その喜びも束の間。

本気でバンドで!と考えている人達ではないので、曲のイントロもまともに覚えて来ていない。

その温度差に『初めてのバンド』は、全く気持ち良くなかった事を覚えています。

5.高校中退

再び面白いと思えるものがない学校生活。

入学して僅か3ヶ月。

辞める事を決意しました。

『俺はプロになって、バンドで飯を食って行きます!』

担任の先生に反対され、もちろん親にも反対されました。

しかし、申し訳なくも自分の中で『学校を続ける』という選択肢は1ミリもありませんでした。

そんな中、バンドの部屋を作ってくれた先生だけは

『その道は本当に大変だぞ。それでも!というなら、俺は止めない。がんばれ!』

そう話してくれました。

当時、両親には本当に迷惑をかけてしまいました。

もっと意志を固めて高校に行かない!と言うべきでした。

しかし、僅かな高校生活で出逢えた友人達のお陰で、のちに音楽の道を志す仲間と出逢えるきっかけにもなりました。

絶対に自分の夢を叶えて、この道で成功して親孝行もする!

ここから、本格的に『音楽で生きて行くストーリー』が始まります。

6.最後に

当時を振り替えると、世間知らずな甘い子供でした。

ただ『本気』であったことは間違いなく、この道に振り切ったお陰で今があることは確かです。

高校を辞めた直後は、当然ですが仕事探しにとても苦労しました。

学歴が何より大事な時代に、15歳が働ける場所はそうそうありませんでした。

その話は、また次の機会で。

皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。

余談ですが、高校でお世話になった国語の先生とは、25年の時を経て再会する事になります。

地元の先輩から「バンドで歌いたいからバックミュージシャンを探して欲しい」という相談をいただき、僕はドラムで参加し、ベースを探していた時に国語の先生がベーシストだったことを思い出し、コンタクトを取ってみたら快く引き受けてくださりました。

25年前にお世話になった先生と、まさか同じステージで演奏できるとは思ってもいませんでした。
(最近のライブ後の写真。一番右がその先生、隣が僕です)

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