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~まいにちが随想録シリーズ1~ 631と1分の日

高倉町珈琲店へいくのだ

オカダが陸前高田に旅立って2日?3日?(どちらにせよ数日いない)が過ぎた。

オカダは旅行記をつけるらしく、眠気と戦いながら(昨日は負けていた気がするが)陸前高田での日々を綴っている。

私はというと絶賛PMS期に入り、いつにも増して止まらない食欲である。

オカダがいなくて話し相手がいないし、
純粋に寂しいのでわたしも随想録を書いてみることにした。

明日から大阪旅行なので、たぶん今日限りの日記になると思う。
(三日と言わず一日坊主、髪の毛は一日で生えず。)


さて、東京は台風の気配が通過中である。

昨日の午後は、台風っぽい風がピュウピュウ吹いていった。

せっかく意気込んで出かけようとしていたが、今日は雨予報。

朝の気分で決めようと珍しく昨日は早く寝て、6時に目覚ましをかけ、案の定8時半に起床。

…あちい。

空気がなまぬるい。

雨の到来を感じたけれども、いいやそれでも私は今日行きたいところがあるのだ。

今日の目的地は、国立にある「高倉町珈琲」。

喫茶店ぽい雰囲気ながらも、WiFi電源アリ。

パソコンがもはや充電器とセットでないと機能しないため、電源の有無はコワーキングの大事な判断基準。

そしてメニューにあった、美味そうなリコッタパンケーキ。

ゆくしか。

午後から雨予報につき自転車は断念。
バスにゆられ、国立へ到着。

喫茶店への道すがら、ムタヒロを見つけ今日のランチにでもしようかなんて考えながら、10時過ぎに入店した。

ひまわりワンピースだろうが、ラーメンが食いたい

気づいたら、14時40分になっていた。

Oh...

SA時代から薄々感じていたが、いい環境で仕事を頑張ると、私はユーダイモニアってしまう。

加えてお仕事の1つだった文章作成が捗りすぎて、随想家スイッチが入ってしまった。

故に珍しくこんな日記を綴っている。

モーニングともブランチともいえぬパンケーキもすっかり消化され、空腹が襲ってきた。

すっかり満たされた「パンケーキ食わせろ欲」に代わって、「ラーメン食いたい欲」が湧き上がる。

生理前、恐ろしや。

ああ小麦が食べたいのねとお腹に話しかけながら、近隣のラーメン屋さんを探す。

うぅ〜ん、どこも15時で閉まるんだなぁ。

でも他の気分じゃないしなぁ、でも食べないときっと不機嫌になるしなぁ、と悩みつつ、お昼休みなしでやっている家系ラーメンに目星をつけ、喫茶店を後にした。


外へ出ると、心地よく雨。

お気に入りの傘をさして、ラーメンを目指す。

「横浜家系ラーメン 大和家」

ゴリゴリの家系ラーメンの装いにビビり、素通り。

お金を下ろしにきたフリをして郵便局へ入り、反対の道から様子見。

どうする、めっちゃラーメン屋だぞ。

男子学生とかが喜んで食いに行くやつだぞ。

私腐ってもまだJDだぞ。

しかも今日ラーメン屋には全く不似合いな可愛いワンピース姿だぞ。

それでもお腹はラーメン食わせろと叫ぶ。

行くしか!!!

覚悟を決め、ご来店。

2人しかお客さんいなかった。

そして普通にラーメン美味かった。

家系のラーメン、はじめて美味しいと思った。

調子に乗って無料ライスを頼んだら、セルフですって言われた。

悪魔の味を堪能し終わり、さあ帰るかとスマホを開いた。

帰りのバスは。

31分。

現在時刻は。

30分。

オオ残り1分!

ココからバス停まで徒歩1分!

行くべ、と席を立ち、お店の人に美味しかったですと伝え、バス停へ。

と、向かいの道に古本屋らしきお店が。

…バスは次のに乗ろう。

解釈はいつも大袈裟、そして世界はわからないことだらけ


こじんまりとした古本屋さん。

向かいの道路から見えた茶色い本たちは、
ビンゴ!やっぱり岩波文庫。

古本屋は哲学書が安くで手に入るから好きなのだ。

どれどれ、ラインナップは…

ヴィトゲンシュタイン、論理哲学論考。

カント、道徳形而上学の基礎づけ。

こないだ行った古本屋さんにもこの2冊があった。

古本屋さんで人気なのか?これ。

ウーン、何かいいものないかなぁ。

西田幾多郎の名前が目に入り、手に取ってパラパラ見てみる。

ウン、これはもう知ってる内容だ。

ソクラテス入門、ヴィトゲンシュタイン入門…入門シリーズがめちゃめちゃあった。

こういう解釈本はKindleUnlimitedで大体読めるからいい。

どうせなら、原本を読みたい。

当たり前だが、読み手によって解釈が異なるからだ。

解釈本は大体、物事を大袈裟に説明したがる。(だから分かりやすいというのもあるけど。)

例えば今日勉強したフランシス・ベーコン。

イギリス経験論を確立した彼の有名な言葉は、「知は力なり。」

彼はアリストテレスの演繹法を批判し、知識とは実際の経験から得られるものであるとした。

そしてその経験に基づく知識から導き出されるものこそ、真理である、と。

これが帰納法。
(一般的な働き方が厳しいかどうかは、自分が実際に働いてみないと分からないから経験してみろとなんかやたら上から目線でアドバイスしてきた先輩野郎に、「あなたは帰納法的な考え方ですねぇ。」と返してやれば良かったのか、と思った。)

そしてこういう経験に基づく知識こそが、自然法則を知る方法であり、自然法則を知ることで、自然を支配できる、とベーコンは言うとったらしい。

あれまあコイツも人間中心主義的思考するのねぇ嫌いだわと思っていたけども。

『ノブム・オルガヌム』の原本の言葉を読んでいると、どうも自然支配をやたらめったら推奨しているわけでもなさそう。

これは、原本を読まないことにはわからないな。と喫茶店の中でそう思った、という経緯。

ということで、買うなら二次情報の混じった解釈本ではなく、一次情報のみの哲学書を買おうと。

選んだのはスピノザの「エチカ」。

上下セットで1000円。

古本屋にしては高い気もするが、まあいいか。

スピノザというと、「人間は考える葦である」と言ったパスカルやライプニッツと近い時代の人?みたいなイメージしかない。

副題的なところに倫理学と書いてあったので、まあ読みやすいか?

明日の大阪移動のお供にしよう、とお買い上げ。

ベーコンに倣って、自分の経験からエチカの真理を見つけてみることにする。

雨に濡れたら困るのでビニール袋をもらい、さらに上の方にハンカチを被せようとしたが、肝心のハンカチが湿ってやがる。

モタモタ古本屋を出て時計を見ると、33分。

おお、バスが来るまであと1分再び。

今日は1分の日だな、と道を渡り、停留所へ。

バスの中で随想録を書き始めたら、案の定酔ったのとラーメンの豚様が結構重くて、ウプウプいいながらぶんじ寮へ帰ってきました。

ちなみに631はラーメンに書いてあった。

ノリ6枚、チャーシュー3枚、残りの1は半分に割れた1つの味玉か、1つのうずらの卵か…

2個に切られた味玉は、1なのか…

エジソンは、1つの泥団子と1つの泥団子を合体すると1つのでっかい泥団子になるのに、1と1を足すとなぜ2になるのかが理解できなかったらしい。

私は、6枚の海苔と3枚のチャーシューに組み合わされるのは味玉なのかうずらの卵なのかが分からなかった。

631とか言いながら990円だったのも分からなかった。

「634(ムサシ)」とかならまだこじつけがきくけどなぜ631なのかは全く分からない。

世界は分からないことだらけである。

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