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深夜の眠れない系ヒマ人的ネット徘徊中年が見る退屈な真実とその問題

※私はイマジンこそあるが、決してヒマジンではない(ココ重要!

・・・太宰治は、旧制弘前高等学校の文科甲類(第一外国語が英語)から、東京帝大の仏文科へ進学する際に、「だって、どうせ中退するなら英文科や国文科より、仏文科の方がカッコイイべ?」みたいなコトを言って、フランス語なんて1語も読めずに受験に臨んだ。
当時の日本は、外国語と言えばドイツ語(旧制高校なら文科乙類)か、フランス語(同・文科丙類)が幅を利かせていた時代であったし、法曹・医師薬系はドイツ語、庶民はフランス語(の単語)が外国語として一般的だった。
外国文学は、ドイツ文学よりもフランス文学が主流だったのである(私が中学・高校生の頃でさえ、昭和は「カップル」より「アベック」、「デート」より「ランデブー」がまだ一般的だった思い出)。
太宰は帝大の受験でフランス語を見るや(当然、解答なんか書けやしない)「英語で受験させてけろじゃ!」と嘆願し、それがまた通ってしまい、無事(?)入学する。

太宰について書くと、どうしても前置きが長くなるが、同時期に後の太宰の盟友となる、壇一雄が福岡から上京して東京帝大を受験するも、「どうせオマイは無試験の文科に進学するんじゃろw」と祖父にバカにされ、カチン!と来た壇一雄は、全然門外漢の経済学部を受験してパスしてしまう。
以降、帝大生となった太宰と壇は、不思議な縁で放蕩と無頼の限りを尽くす、札付きの超不良帝大生と相成ったワケだ。
ところが、壇は太宰と遊び呆けながら、卒業時でさえ「新入生かよw」な真新しい帝大の学生服に身を包んだまま、無事に経済学部を卒業し、太宰は初志貫徹(?)で仏文科を中退する。
以降、壇は「帝大(東大)不経済学部卒です!」が自身のお気に入りのキャッチコピーで、その人懐こい顔を売るのだが。

小説太宰治

さて、私もヒトカドの偏屈なオッサンになり果てているので(もとより若い頃から女性は苦手だが)特に若い女性は、今も昔も大の苦手だ。同様に、若造(野郎)はもっとキライだ。
それでも、とかくTwitterやツイキャス等で若い人に声をかけてみるのは、ひとえに腹黒い匕首(あいくち)を忍ばせているからに他ならない。
それは何か?
次世代の日本を担う若者の実態って、具体的にはどうなんじゃろか?」という、怖いもの見たさの、興味本位でしかない野次馬根性そのものである。

特にツイキャスでは、ビックリするような絶望のズンドコに叩き込まれることが快感、もとい!厳然たる事実に唖然とする(それとは逆に、勉強になることもあるので、基本的に若い人に勉強させてもらっている)。
私はソレを密かに(直接的もしくは間接的にバカにするようなことはせずに)ツマミにして酒を呑むようなテイタラクであって、それはそれで「ニッポン\(^o^)/オワタ」な感じで面白い。
特にツイキャスでは、高校生以下より大学生の比率が高い上に、タイガイは文系か、それよりも学力・偏差値が劣る看護・介護系なので、痛いのを通りこして、もはや快感でしかない。(*´Д`)ハァハァ ←
この間も、たまたまお邪魔したツイキャスのキャス主がJDだったので、「ほう、JDさんですか。キャス主さんは、学部はどちら方面なんですか?」と質問してみたら、経済学部だとのこと。
ほう!こりゃちょっと面白そうだな(しめしめ)と思って、「ほほう、不経済学部ですかw」とコメントしたら、「ふ・けいざいがくぶって、何ですか?」とのたまう。
ありゃ、なんだシャレが効かない系か?と思って、「いやぁ、不経済を学んでるんでしょ?w」とジャブを打つも、「ふ・けいざいって、何ですか?

・・・え?Σ(°Д°)

しきりに「私バカで」とか、「私、知識がないから」とかなんか言っているが。別に、こんなコメントぐらいで学力や知識がどうのとか、なんでそんな反応になるのだろう?
うーんと、、(自分的に精一杯持ちこたえて)「不経済って、経済的じゃないことだよ。説明させないで?w」とコメントすると、「あ、いや、私、勉強できなくて」とか、さっきから、同じようなことばっか言ってねーか? ボキャブラリー無さ過ぎか?
うん・・・勉強とか、知識とかじゃないよね?常識の範疇だよね??って、この「範疇(はんちゅう)」が読めないのは、こういった大学生(いや、30歳ぐらいの大人でも)普通だったりする。

あれ?ワシったら・・・え、ワシの方が間違ってる流れなの、これ?

恐らくキャスに参加しているであろう、キャス主と同年代と思しき野郎どもは、大抵はガン無視だ。オマイらキャス主に自分の言いたい事をコメントして、キャス主が自分のコメントを読み上げるだけで満足する一方通行かよ。
ねぇ?キャスに参加しといて、キャス主にコメントを読み上げて貰うだけで話題も広げず、参加してるオマイらって、キャス主とコミュニケーションを取ろうとは思わんの?(大変に余計なお世話だが

まぁ、ツイキャスなんて、ほとんどがこんなんばっかだが。( ´Д`)=3 フゥ
ああ、ちょっとお邪魔みたいなので、これで失礼しますね」ってのが、キャスを立ち去る私の常套句だ。キャス主は、面倒(?)なオッサンが立ち去ってくれて、心底安心するのだと思うが。
もうちょっとさ、ワシを楽しませて(話を聞かせて)くれよぉぉぉ!

これは、ジェネレーションギャップによる「世代間の断絶」などという、生易しいモノではない。
普通の大学生と、普通の大人(ワシが普通かどうかは、この際おいておく)との、日本語でのコミュケーションが成立しないという、どうにも埋めがたい日本人間の分断の一例である。
学生なのだから、何年かすると、日本における高等教育を受けた(と思われる)大学生は、学校を卒業して社会人になる。
こういった日本人なのに日本語が通じない若者と、すでに社会人として20年も30年も働いている、私のような世代が一緒に仕事をする際の悲劇は、火を見るより明らかだ。

無論、こういった大学生が一般的で、日本の未来は悲観すべきだ、と短絡的に決めつけて主張したいのではない。その程度なら、まだしもマシだ。
仮に、太宰治や壇一雄が社会人の大先輩で、この日本語が通じない大学生が私の学生時代であったのなら、太宰や壇は、今の私のように「日本語が通じない」と驚き、かつ呆れ果てたことだろう。
因果は巡るのだ
今、私が「日本語が通じない」と驚き、かつ呆れ果てた大学生が、今度は社会人の大先輩となり、現役の大学生とコミュニケーションを取った場合も、恐らく同様のことが発生するハズだ。
つまり、紀元前から連綿と続く「今の若い者は・・・」といった、人類の永久ループをそこに発見するに違いない。ただ、文明の進展と流れる時間の速さが、古代と現代で違うだけに過ぎない。
紀元前の石版を見るのも、現代のツイキャスを見るのも、「人間の本質は変わらない」という、退屈極まりない真理の発見に過ぎないのだ。

しかしながら、この部分が最重要なのだが、パソコンやスマホ、ネットの進化は、明らかに「文明の過剰」をもたらし、ひとつの結果として「コミュニケーションの過剰」を引き起こしている。
そこで長々と前述した、現代ニッポンにおける日本人の幼児化と愚昧化は指摘できるが、それ以上に、この「文明の過剰」と「コミュニケーションの過剰」が明らかにしている現象は、日本社会の危機のひとつであり、日本社会の破壊を見ることが可能であるのだ。
ゆえに、いつの時代でも保守主義が「過剰を均衡し得る唯一の道」であるという、これもまた不変の真理を発見することになると言える。
問題は、誰もそこまで考えない「思考停止」が当たり前になっていることだ。このままでは、本当に救いようがない


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