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鍬を取れ!

何の考えもなしに勝手耕作を始めてはや2ヵ月。サツマイモは雨と日光を浴びてぐんぐんと育ち、すっかり畑らしい見た目になってきた。ここで意識するのは、だめライフの「ライフ」の部分、農業とライフスタイルのあり方だ。今回は東大の敷地ではなく、香港を舞台にしてこれを考えてみることとする。



農業と本土主義

先日、若い人が香港・新界で農業に参入してコミュニティを作っているという話を人づてに聞いた。2019年デモ後の社会の分断コロナ禍国安法、そして移民と暗いニュースが続いた香港では、誰もが疲れ切っていた。国安法を前に社会改革は道半ばで頓死し、もはや何の希望も見いだせなくなっていた。そこで、鬱屈とした気持ちを抱えた若者たちは都会の喧騒を離れることにしたのだという。そこで思い至ったのが香港における本土主義と農業の関わり、そしてフードアクティビズムである。

香港では、2019年の民主化デモをきっかけに民主派の個人事業者を支援するムーブメントが起きた。「黄色経済圏」と呼ばれる消費ネットワークにより、民主派市民が民主派の店「黄店」で積極的に消費を行うというこのムーブメントは、消費にイデオロギーという文脈を付加した。この中で付加されたイデオロギーに、香港本土主義(ローカリズム)というものがある。かつて香港は中国大陸から逃れた難民が仮住まいする土地であったが、香港で生まれ育ったその子孫たちは香港を自分たちの土地であると認識する(落地生根)に至っていった。ざっと説明すると、これが本土アイデンティティである。

本土主義の運動は2007年の皇后碼頭取り壊し反対運動に始まり、2008年の高速鉄道反対運動、反水貨客(爆買い客)デモや魚蛋革命を経て、2019年の香港民主化デモで10代・20代の若者に大きく支持されるものとなった。今回は本土主義のムーブメントそのものには詳しく触れないので各自調べてほしい。

黄色経済圏


黄色経済圏と香港本土主義の結節点の一つは「本地」(香港ローカルの)食材である。香港は食品の9割を中国大陸からの輸入によって賄っているが、香港域内(特に新界)で農業や畜産を小規模ながらも営んでいる人たちがいる。こういった香港産食材の地産地消は、中国大陸で相次いだ食品安全を揺るがす事件により、安全な食を求める消費者によって支えられてきた。2019年デモ以降、香港域内での地産地消と本土主義が結びつき、「黄店」では香港産の食材を使用する傾向がある(CHAN & Ng, 2020)。また、コロナ禍によって外食が難しくなり、自炊をすることが増えた市民の間で地産地消の動きが促進された。

端傳媒 疫期廚房革命:驚喜來自百分百香港本土食材https://theinitium.com/article/20200503-culture-cooking-plague-hk-organic/

ざっと探しただけでも深水埗で2軒も香港産食材を使用している「黄店」が見つかる。

深水埗 黑窗里

深水埗 悄悄食堂

ちなみに黑窗里は開店にあたって松本哉氏の支援もあった、高円寺との繋がりのある店だ。なんでも、この店は「だめ人間」を積極的に雇っているという。最近はベジタリアンブームも相まってオシャレ感が出ているが、中身は「だめ」らしい。国境を超えても我々は「だめ」で繋がることができる。

食から農へ

食から農へと本土主義の流れを遡上してみよう。先ほども述べたように、香港の農産物の9割は中国大陸から輸入されたものである。香港域内における農業は本来、小規模なもので市場にも流通しないようなものだ。その香港の農業が注目を集めたのが2008年の菜園村事件である。石崗菜園村は新界にある非原居民の村であり、5,60年代に中国大陸から移民した人々の子孫が農業を続けていた。2008年11月、中国大陸と香港を結ぶ高速鉄道の途中待避駅として菜園村が指定され、菜園村の村民は突如立ち退きを迫られることとなった。そして反高鉄運動が始まったのだが、ここで注目すべきは菜園村の支援者である。

村外からやってきた菜園村の支援者は「菜園支援組」を結成し、デモや集会を通して抗議の一大ムーブメントを作り出した。結局のところ高速鉄道建設計画を頓挫させるには至らず、村民は移転を強いられることとなった。だが、支援者たちは村民たちのオーラルヒストリーの収集や村のガイドツアーを通して、農を基盤にした自律的な暮らしのあり方について思索を深めてゆくこととなる(安藤 2019)。

菜園村支援者のいま

菜園村支援者らの活動は菜園村生活館としてパーマカルチャー(永續農業)をテーマに現在も続いている。永続性(パーマネント)、農業(アグリカルチャー)、文化(カルチャー)を組み合わせた語であり、自然との共生を目的とした持続可能なライフスタイルである。彼らは単に農業を営むだけでなく、畑で採れた野菜を使った料理を作るワークショップを開いたり、書店やレストランで香港産の野菜や果物を買えるように周知活動を行っている。
また、菜園村支援者はコミュニティ支援型の農業として田嘢というオーガニックショップも開いている。田嘢では野菜のパッケージ販売のほかに、有機野菜を使った料理を作る体験型ワークショップ、食育などにも力を入れている。生産者と消費者の距離を近づけ、食の源を知るためのプラットフォームとしての活動だ。

離地?

さて、やや話を移してローカリズムの政治の側面について見てみよう。中国はイデオロギーによってではなく、資本の力によって香港を呑み込んだ。例えば、三中商(大手書店)は全て中国政府の資本に牛耳られている。もはや、大陸市場を前にして、資本主義の繁栄を以て香港が存在感を示すことは不可能に近い。完全に呑み込まれないようにするにはどうすれば良いか。その中で出てきたのが香港の特殊性の強調である。城邦派の学者、陳雲は著書『香港城邦論』において、嶺南文化(香港文化)の特徴として繁体字、広東語の使用やモラルの高さなどを挙げている。しかし、彼の視点に欠如しているのは土地に対する想いである。これを欠いた彼の視点は文字通り「離地」、即ち浮世離れしたものになっているだろう。雨傘運動以降、穏健民主派のスノビズムは本土派から大いに批判されたが、本土派の彼らとて「離地」であった。真に地に根付いたローカリズムの実践は農業である。

本地蛋

ローカリズムとは何であるかを再確認するために2015年のオムニバス映画『十年』を取り上げてみよう。この作品は10年後、すなわち2025年のディストピア香港を描き出す社会派作品である。『本地蛋』はその一編だ。香港最後の養鶏場が、「農場を反政府活動の言い訳にしている」と政府に攻撃され、閉鎖を余儀なくされる。そして、その本地蛋、すなわち地元産の卵を売る商店のオーナーは、紅衛兵を思わせる「少年軍」に「本地」が禁止語リストにあると告げられ、嫌がらせを受けるというストーリーだ。このディストピア的な短編作品の中にはローカリズムの表象が散りばめられている。明示されていないが、政府が農場を閉鎖させたのは新界東北發展計劃に関連する再開発のためであろう。書店の張り紙には「八十年代のスター雑誌・武侠小説の古本買い取ります」とあるが、80年代といえば香港人にとっての黄金時代である。1984年には香港の命運を決定づけた英中共同声明が出されるなど不安要素がありつつも、文化的・経済的な繁栄を極めた時代だという共通認識がある。また、作中で禁書に指定されている『ドラえもん(叮噹)』も香港人の幼少期の思い出を象徴する集合的記憶(集體記憶)としてローカリズムを演出する。書店に貼られた『進撃の巨人』のポスターは壁の向こう側の巨人に立ち向かう人々の物語であり、言うまでもなく、これは香港の民衆の生き様の表象だ。即ち、この作品は「香港が香港であることとは何か?」を究極的に突き詰めたローカリズムの結晶だといえる。そのタイトルとして、メインテーマとして、「本地蛋」が据えられたことの意味は大きい。

農業が示すオルタナティブなあり方

皇后碼頭取り壊し反対運動や高速鉄道反対運動の失敗を経験して運動の前線から身を引いた人々は、大陸に呑み込まれないための手段として新自由主義的なあり方を脱却し、新界で農業による自給型のライフスタイルを模索し始めた。今や彼らは40代になり、2019年のデモ以降、絶望を抱えた20代の若者を受け入れるコミュニティを作り上げている。中産階級はもはや新自由主義的な価値観に魅力を感じていない。かつて、香港では際限無く開発が続くことは繁栄の象徴であった。しかし、もはや時代の流れは変わりつつあり、ポスト物質主義的なあり方に価値を見出す人はだんだんと増え続けている。
「馬寶寶社區農場」で有機野菜を生産する袁易天氏は新界東北發展計劃を批判し、次のように述べる。

香港の土地は決して広くはないにもかかわらず、人為的に地価が吊り上げられてしまっている。だが、農業の基本は土地である。こんにち、大陸資本がアセットスワップの手段として土地を略奪し、香港経済を支配するという戦略が行われているもとでは、農業の未来は非常に暗い。

袁易天:土生土長的年輕人,都在建立自己的根 - 報導者 The Reporter

高速鉄道反対運動の時、香港政府は主に80年代生まれの菜園村支援者について、不景気で雇用が安定しなかったことに不満を抱いているとして土地の問題を経済的な問題にすり替えようとした。また、2019年デモの際も中国政府・香港政府は「経済的な問題が背景である」として政治的な問題を経済的な問題に押し込めようとした。しかし、問題は政治にあることは明らかであった。経済的な範疇に収まりきらなくなった問題が溢れ出た結果として、民衆と政府の直接的な街頭闘争というカタストロフに至ったといえよう。

政治的な行き詰まりを迎えた香港に対し、農業はオルタナティブなあり方を示す。新自由主義からポスト物質主義へ、ファストからスローへ、グローバルからローカルへ、政府からコミュニティへ。

鍬を取れ!

視点を香港から日本へと戻そう。我々の生きる日本社会はアイデンティティが脅かされる社会ではないが、資本主義に生き苦しさを感じさせられる社会ではある。コマーシャリズムが支配する渋谷の街に息苦しさを感じたら駒場キャンパスの隅の畑に来て欲しい。農業は自活の手段である。キャンパスを、空き地を、河川敷を我らが鍬で耕そう。その汗がもたらす実りは、我々の身体をつくる「ライフ」である。

参考文献
安藤丈将「「資本主義の夢」の消えた後に:香港における広深港高速鉄道反対運動とその遺産」『ソシオロジスト』21 号、2019 年、1–37 頁
CHAN, Y. W., & Ng, K. W. Y. “Food Boundaries, Pandemic, and Transborder Relations. Hong Kong’s Food Localism and Colored Consumption.” 亞太研究論壇 no. 68 (December 2020): 7–41


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