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違和感 その2

↓昨日書いたやつ。

違和感 その1|ほねいけ @damesekai|note(ノート)https://note.mu/damesekai/n/n7a01f6cb7e88

違和感を感じるものについて、続きを書きたい。

昨日は、子どもが生まれて、自分自身が変わった、と言う人に覚える違和感について書いた。

なぜ違和感があるかと言うと、そもそも人格なんて本当の本当に滅多なことがなければ変わらない、と私は考えているからだ。
そしてもうひとつ、違和感を感じる明確な理由は、そこに子どもがいない人への見下し、優越感、マウンティングを感じるからだ。
(マウンティングという言葉を提唱し始めた人はすごい。マウンティングという名前を付ける事で、これまでも存在していたけどうまく批評の対象に出来なかった概念・事象を、とても捉えられやすくなった。飛躍的に。)

当たり前のことを書く。

子どもがいなくても、立派な方は、老若男女を、男女以外を問わず、沢山いる。
昨日も書いたけど、確かに私自身は、子どもと生きることでオムツを替えられたり、ミルクをあげられるようになった。
しかしそれはテクニカルなスキルの問題でしかなくて、経験して身につけたものだ。
この経験に、子どもの有無は関係ない。
子どもがいなくても、結婚していなくても、私よりオムツ替えやミルクをあげるのが上手な人は沢山いる。なにせ私は不器用だから。

汚れた赤ん坊の衣服をウタマロ石けんで洗うというのも、単なる知識だ。
年齢・性別・家族構成によらず、知っている人は知っている。それだけだ。

なのに、自分に子どもがいて、その子どもを自分が育てているという事実を根拠に、子どもがいない人に上から目線のような態度で、子どもを持つ苦労を語り、その苦労を含めていかに自分が成長出来たかを語り、最終的に子どもを持つこと(ターゲットとする相手によってはその前段として結婚すること)を無思慮に無分別にすすめてくる人がいるのだ。

端的に言って、そういうことを浅はかに人に言うような人間は、賤しいと思う。阿呆か莫迦か或いはそのすべてである、と思う。
なので、なるべく近寄らないようにしている。

という話を書いておきたかった。

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