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支援者の立ち位置

おはようございます。

一昨日息子が「おんがくー!!」といって色々なことを披露してくれていた件

妻が連絡帳で学校の先生に確認したところ明確な答えが返ってきた。

音楽の授業で「パン屋さんにお買い物」「お弁当箱」の手遊び歌をしていたらしい。この2つを彼は表現していたのだ。

どっちも知ってた曲だし、なんなら一緒に昔やっていたのに気づけなかった自分よバカやろう。

その分今日はお風呂で一緒に手遊び歌を満喫。おぉ、昔やってた時より発音が明瞭ではないか。なんか感動。

さらに昨日やったことを教えてくれていたようだが、これは一切理解不能。行動を文書で表現するにも難しいレベルなので連絡帳に書こうにも書けない。連絡帳をアプリやタブレット化してメモが動画でも出来るようになればいいのにな。


さて、本題。

支援者の立ち位置について。

僕のnoteを読んでいただいてる方はおそらく福祉に関する支援者もしくは当事者が多いと思う。もちろんそうでない方もいるだろうし、大歓迎。

今日は支援者として関わる僕の立ち位置の考え方を書きたいと思う。

福祉に関する支援者は、高齢者や障害者など社会的弱者と言われる方々を支援することがお仕事。様々な実践知識や技術を学んでいる。ただ、根本にある支援という言葉をちゃんと認識していないまま知識や技術を使っている人も多い気がする。

では支援とは。

全てではないが、福祉の歴史では現在支援として行なっていることを指導として行なっていた。そして指導は援助という言葉に変わり、今の支援という言葉になっている。

この指導や援助の名残が今の支援にも見られるように感じる。

要は支援者が中心となって支援しているのだ。

支援は
支援者が勝手に決めるものではない

支援は
全員と同じように接するものではない

支援は
代理人とだけ話すものではない

支援は
上から目線で行うものではない

支援は
与えるだけでなく引き出すもの

他にも色々あるがここらへんを抑えてないまま知識や技術のみだけで支援に携わっていないだろうか。

専門家主導から当事者主体へ

専門家時代の幻想(1984)/イヴァン・イリイチ


自分自身の支援のあり方に立ち返る場所として今回この記事を書いた。

支援者としての立ち位置をわかりやすく理解してもらうには英語にすると良いと思う。

支援者は英語にすると

supporter(サポーター)

サポーターでイメージしやすいのはサッカーだろう。

サッカー選手やサッカーチームに対してサポーターはどう接しているだろうか。

選手やチームの力を信じて応援している。ただそれだけ。応援の方法は色々あるだろうが全ては応援。指導や指示、援助は(経済的なのはあるか)一切していない。

うろ覚えではあるが
かつてブラジルW杯の出場を決めた日本vsオーストラリア戦(1-1)の試合を終えたあとに本田、長谷部、香川が会見で立て続けに

「サポーターのおかげで」

と何度も言っていたことを覚えている。

そんなふうに支援者として、僕は支援される方の力が最大限に発揮できる環境を作っていくことを常に意識して関わっていきたい。

おわり。

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