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2023年1月と2月の日記~「今の大学生は上世代に何も期待していませんよ」って言われているようではダメだろう号~

1月*日
年末に単独でスキーに出かけ、意気揚々と帰宅したら妻、長男、長女が揃ってコロナになっていた。申し訳ないやら、置いて行かれた感やらで、とりあえず隔離した。隔離と言っても、4人家族で3人がコロナだから、無事な自分が隔離される立場で、我が家全体としてはコロナ罹患者が主流となった。
とはいえ、3人とも辛そうだし、買い物はもちろん、食事などは当然準備させてもらいたい。念のため何度も検査をしたけれど、ぼくは無事のようなので毎日駅前に買い出しに出掛けて、「今日はおでん」「明日はピザ」「煮込みうどん」に「パスタ」に「おかゆ」と、それぞれのリクエストを聞きながらできる範囲で奮闘した。そんな1週間あまりを過ごして分かったことは、キッチンは秘密基地みたいで居心地がいいということ。さすがに導線研究し尽くされ設計された場所らしく、効率性に満ちていた。仕事場よりも余程空間効率が優れている。妻が「キッチンは落ち着く」と言っていた理由がちょっと分かった。

1月*日
前回iPhoneを購入したときに、「Dカードで支払いをすると機種交換時の代金に相当できますし還元率も高いのでお勧めですよ」とドコモの営業にのせられて作ったカードの明細をふと見ると、毎月ポイントが減算していることが分かった。どうやら昔のポイントの有効期限が切れ始めているらしい。さすがにそれは勿体ないので、大して必要性は感じないがiPhoneを新型に交換することにした。
交換を面倒に感じていたのは、データやアプリの移し替えが面倒だった記憶があるからで、前回ドコモショップの店員さんと何度もやり取りをした記憶がある(それの御礼も込めてDカードを作ったのだった)。「またあんなのになったら面倒だなあ」と思いつつ最寄りのドコモショップにいったら、旧機種の隣に新機種を並べボタンを押せば、1時間ほどで新機種が旧機種とまったく同じ状態になった。引っ越しおまかせパックみたいなものだ。
みんな普通に知っていることなのかもしれないが、ぼくはたまげた。
面倒がっていたのは一体なんだったんだ。
ということで、最新14の画面が大きい方にしたのだけれど、Dポイントを機種代に充当して満足していたところ、「4年契約にして月賦払いにすれば、2年経過時点で新機種に変更ができて引き続きポイントで次の機種の支払いも充当できますから、それが一番おススメですよ」と言われた。
またもや何のことか良く分からないが、それを理解したいとも思わないので、お姉さんの眼差しに嘘はないと感じ、「じゃあ、それで」と返事をした。ドコモに行く度に、何やら想定外の契約をして帰ってきている気がする。将来オレオレ詐欺に引っかからないようにしないと。

1月*日
開業から5年間、手塩にかけて育ててきた京都・西舞鶴のカフェ「カンマダイニング」の経営権を、地元の老舗企業で、一緒にプロジェクトを進めてきたパートナーでもある大滝工務店さんに1月末日に譲渡することにした(現在はぼくが代表をつとめる株式会社小さな広場が運営)。
開業前から「いつかは地元企業が運営をしたほうがいい」「時期が来たらそうしましょう」と言い続けてきたので、いよいよそのタイミングが来たという次第だ。
お客様から見れば何かが変わるわけでもないし、積み上げてきたブランド(価値)を継承する前提での譲渡なので、本当に何も変わらないのだけれど、中にいる社員やスタッフにしてみれば、所属会社が変わったり、伴って制度が変わったりするので、ひとつひとつ合意を取りながら進めないといけない。
資産の引き継ぎや契約関係の整理、お取引先への説明なども欠かせないので、抜け漏れがないように、関係者全員で引き継ぎ書を共有して進捗を管理する。譲渡契約内容の詳細と関係する書面については、双方の顧問弁護士が担当。やってみると、それなりに労力がかかった。でもこれは、更に輝かしい未来への第一歩。喜ばしいことなのだと思う。
「ということは、小さな広場は舞鶴から撤退ですか?」と聞かれることもあるのだけれど、カフェ事業だけでなく、場づくりやモノづくりなど、舞鶴で小さく積み上げつつあるその他事業があるので、小さな広場は舞鶴に事務所を構え継続する。その屋号を「アトリエオール」とすることに決めた。ボートに使うオール。誰かの舟を一緒に漕ぐパートナーでありたい、舞鶴をさらに良い街に進めるべくオールとなろう、そんな気持ちを込めました。

1月*日
大学生と一緒に地方企業を尋ねるシリーズの第二弾で、中央大学1年生のSくんと鹿児島に行った(第一弾は国士舘大学3年生のNくんと長野に行った)。
2泊3日、一緒に行動する中で、たくさん話をした。興味深い視座や意見が色々と出てきて楽しいのだけれど、2日目の夕食は特に盛り上がった。Sくん曰く「今の大学生は、ぼくの感覚では、上世代、例えば30代とか40代とか、さらにその上の世代に、何の期待もしていないと思いますよ」。「別に落胆しているわけでもなくて、期待がないから落胆もしないんです」。「だって、自分のことばっかりじゃないですか。上世代の人って」。「だからなんていうか、無関心、そう、無関心なんです」。
聞きながら、これもまた、行き過ぎた個人主義の成れの果てだと思った。そういう思いに追いやられたSくん世代が、そのスタンスを踏襲し、個人主義に突っ走るのか、舵を切り直すのかは分からないけれど、少なくとも自分を含めた上世代は、次の世代に「背中を見せる」的な振る舞いを、今少し心掛けるべきだと思った。

2月*日
2月13日にホンブロックから新刊「家族の練習問題9巻」が発刊になる。それを記念して、著者である団士郎さんと、今回編者をつとめてくれた牟田都子さんのトークショーをオンラインで開催した。
ライブで視聴くださった方が60余名。アーカイブでの視聴者も含めると120名近くの参加者を集めることができた。この一人一人に、ホンブロックは支えられているのだなと、改めて感謝の気持ちが芽生えた。
トークショーでは色々は話が交わされたが、特に印象に残ったのは、士郎さんの生業である「家族の相談」と牟田さんの生業である「校正・校閲」の共通点。それは、共に「平穏・無事」を支えるための仕事だということだった。
事件や事故、いわゆるワイドショー的関心事ばかりが話題になって、それを解決に導くような仕事が「プロ」としてフォーカスされがちだが、二人の仕事は、「事件や事故」を未然に防ぐためにある。それらが誰かの目に留まることは少なく、決して華々しいものでもない。しかしそこにあるプロの仕事を疎かにしては、安定した社会の営みは担保されないのではないか。世の中は、そんな風な、多くの人が気付かないプロの仕事で成り立っている。「しずかで平穏な日々」が決して当たり前ではない、ということに二人は大いに共鳴していました。

2月*日
首都圏の児童相談所で働く方々と話をしていたら、「職員不足が著しく、より良い条件を提示して関東圏内の人材を引き抜き合っている現状だ」と嘆いていた。一緒に話を聞いていた幼稚園の園長先生は「保育士や幼稚園教諭と一緒だなあ」とつぶやいていた。小学校や中学校の先生も、今や立派な不人気職種。児童相談所の職員も、保育士や幼稚園教諭も、「割に合わない」仕事だと思われているのだろう。
では、割に合う仕事とは何なのだろう。ここに、現代日本が沈没に向かう大きな思い違いがあるとぼくは思う。条件面ばかりがフォーカスされ、仕事の本質的なやりがいに目を向けないこと。
先日一緒に旅をしたSくんは「ぼくは若いうちは時間を気にせず思いっきり働きたいんですけどねえ」と言っていた。これも一つの意見だと思う。何かでプロになろうと思ったら、寝食を忘れて打ち込む時間がたぶん必要だと思う。もちろん、全員がプロを目指す必要はない。アマチュア社会人として生きていくというのもひとつの道で、その道も確保されるべきだと思う。でも一方で、何かに打ち込みたいと願う人にまで「身体壊すから止めておき」と歯止めをかけてしまうのは、果たして未来に向けてのよき投資なのか。
人間は、どれだけ強い意志があると思っていても、残念ながら環境で思考を左右されてしまう生き物である。プロを目指したいと強く願う仕事人を、ワークライフバランスという名の下で、全員で潰しにかかって、一体何がしたいのだろうと思うこともある。

2月*日
小噺家(こばなし・か)としてのデビュー戦が迫ってきた。「それは一体なんなのだ」という話だと思うのだけれど、実話に基づくオモシロ話を、基本的に私が語り続ける会である。噺家のまくらの寄せ集めみたいなものかもしれない。
昔から、漫才師や噺家、大道芸人たちに憧れがあった。漫画化でもいいし占い師でもいいのだけれど、つまり、芸ひとつで身を立て世界中を稼ぎながら旅できるような自分になりたい、と思っていた。しかし、その思いとは裏腹に、いつの間にか組織を率いる社長になって、それはそれで楽しかったので20年以上ハマっていたのだが、一昨年に率いている会社の中心的な位置にあったアソブロックの社長を辞めたところ、いつかの想いが再燃してきたのだ。
というようなことを、会う人逢う人に話していたら、お座敷を用意するからデビューするといい、と言う人が現れて、見事なピンクの衣装まで手配してくれて、のせられるがママに、3月16日にデビューなのであります。