団地こそが世界のすべてだった

 金曜の夜は明日がまだ休みだから、という理由があるから夜更かしできる。

 僕は団地が好きで、いつもGoogleマップで日本各地の団地を上空から眺めている。整形に規則正しく並んだ一帯を見付けると、ペグマンを近所の道路におろし団地のファザードを眺める。

 団地というのは基本的には無表情だ。幾何学的に四角が並び、バルコニー、窓、扉、概観、どれをとっても直線で構成されていて、人間が住んでいるのに無機質な印象を受ける。

 それに公営の団地となれば、比較的賃料が安い分、どちらかという貧乏な世帯が多いし、設備や外装もきれいとは言えない。リノベーションをしてない限りは、内装も建設当時のままだ
し、浴室も直接タイルを張った遺跡のような風呂のはずだ。

 上階の住人が夜中に掃除機をかける狂人だったり、隣の住人が醤油を頻繁に借りに来る妙な主婦だったりと、昔ながらの団地はそんなイベントがあったりする。団地はしばしばご近所さんの連帯感を魅力として語られることが多いけど、本当の魅力は真逆のところにある。

 この現世は生きるには情報量が多すぎて、自分がどう生きているのかすら見えなくなってしまうような気がする。渦の中心にいると、ぐるぐる回りすぎて自分が向いている方向がわからなくなるように、そして渦を外から眺めることで初めて全貌がわかるように、僕はできるだけ世界に対して客観的でいたい。

 そして団地はどこに住んでも団地だ。無機質でいて、無個性で、僕を世界から隠してくれる分厚いフィルターになってくれる。僕という存在が世界から認識されなくなって、僕にとっての世界は八畳ほどの自室だけになる。これくらいの大きさの世界になってようやく自分の感覚との距離感が一致して一安心する。

 僕にとって、団地は最も小さい世界だ。

 だけど、働きだして自分で自分の生活を立てるようになってからは、自分の感覚が少しずつ広がってきたような気がする。

 これは視野が広がったとか、考え方が広がったとかそういうことではなく、丸い粘土をギュッギュッと上から押しつぶして平べったく広がったような感じに等しい。うまく言えないけどそんな感じがする。

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