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団地は再生の夢を見るか.2

プロローグ<どこかの団地のどこかで>@kikkawadanchi / 0時56分。  どこかの団地の中の、そのさらに中の棟の、中の階段の、中の階の、中の和室の、中の丸い机の前で、Macbookが僕の顔を照らしている。  もう明日になって一時間が経ったけど、僕にはまだ昨日が続いている。張り詰めた日中と、その緊張を和らげるためにわざわざ一駅分歩いた後の足の裏のだるさ。そういった余韻を放り出しながら子午線よりも後ろの方でぐずぐずしていた。  リビングで点けているテレビはいつの

    • とてもじゃないが人に「団地が好き」なんて言えなかった

      @kikkawadanchi / 昼15時05分 団地と私 生まれも育ちも団地で、今も団地に住んでいる。 「団地に住んでいる」なら言えるのだけど、「団地が好き」は思わずはばかってしまう。  たぶん、団地は私の弱さを象徴する存在だからかなと思う。 私の世界は狭い 大抵の人は労働をしないと経済的に生きていくことが難しいし、世間体という数値で計れない何かにも、労働に向けて突き動かされている。私もそれにもれず日々労働をしていて、体をいためながら、ねぎらいながら、どうにかこうに

      • 団地は再生の夢を見るか.1

        プロローグ<団地の中の中の中の…> @kikkawadanchi / 24時35分。 今僕は日本のどこかの団地にいる。トラックの音が近づいてきて、また遠ざかっていく。国道のそばの、大きな団地だ。  部屋の電気を消し、カーテンの隙間から外を見ると、向かいの棟の階段の明かりが点滅しているのが見えた。  特に何があるというわけではないけど、ときどきこうやって起きている家がないか確認することがある。静かに1日を閉じようとする人が、ほんの20メートル先にいるということを確かめて安心し

        • +7

          千里青山台団地

        団地は再生の夢を見るか.2

          団地探訪#市営古市東住宅

          OsakaMetroの今里筋線・新森古市駅からだいたい7分くらい歩くと、市営住宅やUR都市機構の団地が固まったエリアが見えてきた。  1956年に竣工した古市中団地は、設計は久米設計によるもので、それまでの日本にノウハウのなかった“団地の設計"という課題に対し、ひとつの最適解を見出した団地だ。  今は当時の建物は残っていない。 「古市中団地」から「古市東住宅」へと名称も変わり、デザインを新たにして建て替えがすすめられたのだけど、実はこの建て替え後の古市東住宅がすごく良い

          団地探訪#市営古市東住宅

          団地探訪#市営南方住宅

           淀川区、西淀川区、そして今回訪れた東淀川区は、どれも古くからの住宅地が残っている。  新大阪駅から南東に向かって歩いていった。何重にも連なるJRの線路をまたぐ歩道橋の真ん中で立ちどまった。後ろを振り返ると、大きなオフィスビルが少し遠くに見えた。今いるここはもう新大阪じゃないな、と思った。  前を向きなおすと、マンションがいくつも見えた。白ランニングシャツ姿の老人が自転車を漕いでいた。手作りの張り紙がシャッターに貼られていた。「貸車庫 あります 月3万円」  都市部は秩

          団地探訪#市営南方住宅

          団地探訪#市営加島住宅

           少し坂になった道を、ペダルを漕ぐたびに尻のポケットに入れた財布が食い込んだ。ひと漕ぎ、ひと漕ぎすると、額から汗がふきでるのがわかった。  頭上はうらめしいくらいに青だった。かすかな日陰をつなぎながら大阪市淀川区加島を訪れた。  三津屋中央公園の前に地域地図があった。これを見るとわかるように、このあたりは工場が多く立ち並んでいる。中でも金属加工業が多く、大阪市内でありながらも古くからの職住近接地域だといえる。  三津屋中央公園を南へ曲がると、加島の団地群が見えてきた。

          団地探訪#市営加島住宅

          団地探訪#新檜尾台第二次住宅

          (来訪2018/02/21/) おそらく僕は団地マニアではない。 身近にあり、団地で暮らすことが僕にとってのスタンダードなので、他の団地マニアのように何か萌えのようなものを団地に見いだすことはない。 ただ団地は僕にとって特別だということだ。 大阪府の南のほうにある、新檜尾台第二次住宅を訪れた。 ここは賃貸ではなく、分譲の団地だ。 丁寧に補修がされているためか、1979年築という古さは感じない。 むしろかなり綺麗な外観をしている。 横

          団地探訪#新檜尾台第二次住宅

          地元を出たがらない若者はこれからも増えていく

           数年前のインターネット界隈でにわかに「マイルドヤンキー」という造語が広まった。 ちゃんとした定義はウィキペディアに載っているけど、大まかにいうと「交友関係は中学・高校がメイン」、「地元を出ず地元の企業に就職する」「ずっと地元に暮らす」という特徴がある。  この言葉を巡っては、幾つも論議が交わされていて、「東京」と「その他」の対立として語られることが多いし、あるいは「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」の対立の図式になることもある。  僕はこの言葉の是非というか、その微妙に

          地元を出たがらない若者はこれからも増えていく

          団地探訪#佃住宅

          (来訪2018/02/04/) 団地を撮っていきたいなといつも思う。動機は正直わからないけど、僕の生まれ育ったのが団地だから、に過ぎない。 団地を見るとき、郷愁・ノスタルジーな"物語"がくっついてしまい、そのものの造形の美しさを鑑賞することを邪魔している、と石川初という建築家が言っていた。 言われてみれば確かにそうだと思うけど、僕はその物語性は、原風景に近いものがあるんではないかとも思う。 田んぼ・太陽・青空・セミの声・日本家屋の組み合わせがためらいなく日

          団地探訪#佃住宅

          団地こそが世界のすべてだった

           金曜の夜は明日がまだ休みだから、という理由があるから夜更かしできる。  僕は団地が好きで、いつもGoogleマップで日本各地の団地を上空から眺めている。整形に規則正しく並んだ一帯を見付けると、ペグマンを近所の道路におろし団地のファザードを眺める。  団地というのは基本的には無表情だ。幾何学的に四角が並び、バルコニー、窓、扉、概観、どれをとっても直線で構成されていて、人間が住んでいるのに無機質な印象を受ける。  それに公営の団地となれば、比較的賃料が安い分、

          団地こそが世界のすべてだった

          知らない街で暮らしている

           母から富士山の写真が送られてきた。父母で箱根に旅行に行ってきたとのことで、あまり関東のことは詳しくないのでわからないが、箱根の山から富士山が見えるとのことらしい。 舗装された箱根の山道の駐車場から撮ったようで、数台の車のバックになって写真のど真ん中に富士山がちょこんといた。  関西の人間にとっては富士山はそこまで馴染みはない。日本で一番高い山としか知らなくて、あと知っていることは麓の樹海が自殺の名所だということくらいだ。 だけど母の撮った写真に映っているのは、何のイメ

          知らない街で暮らしている

          街との距離感のとりかた

           最近は梅田のカフェによく行く。人の空いてるカフェがあれば入り、一番安いコーヒーを飲みながら資格の勉強をしている。梅田の地下街のチェーン系のカフェに座って、勉強が煮詰まってきた頃にアイスコーヒーをちびちび飲みながら、行き交う人々をぼーっと眺めるのは気持ちいい。たくさんの人が通る地下街の通路を川の本流とするなら、それに面したカフェの中は、川べりの石で囲われた小さなよどみだ。  コーヒーにミルクを垂らすと、白く同心円状にグラデーションを描いて消えて無くなっていく。注いだところは

          街との距離感のとりかた