きょうだい児であると認識して思ったこと。

次女姉がアスペルガーとADHD で障害者手帳を貰ったので、私はきょうだい児にあたる。
この年末、姉が帰省して、マシンガンのようにひたすらに私に話をしてくるわけだが、辟易という言葉が脳裏を掠めている。

振り返れば、私はいつの頃からか、母の良き愚痴相手になっていた。小学生あたりからだろうか。
うちの父は、今にして思えば発達障害だったのだろう。
母が、夕食を作りながら話す父による暴力や暴言などの愚痴を
高校生になるまで聞き続けていた。

その当時二人いる姉のうち、長女はこの歪んだ家庭内で抑圧され引っ込み思案に、次女は、そのよく回る頭と口で力の強い父に食ってかかる性格になっていた。私は、母と父、父と姉、祖父と母、などの仲介役として相手がお互いに嫌な気持ちにならないよう気持ちを代弁するポジションであった。

こうなってくると、もう完全に家族間のポジショニングきまり、私は良き娘で、妹で、良き相談相手で、時に怒ることはあっても、ほぼほぼ皆んなの思い通りに動くコマのようなものだったのだと思う。
しかしながら、私はこのポジションが最も愛され、可愛がられ、迫害されにくいとも分かっていた。

そのため、姉が私を羨み、お前は親から愛されていていいね?などと言われても、何を言っているんだこいつは?と思っていた
長女は萎縮し親に媚を売ることはない。
次女は、苛烈な反抗期時代父親と一緒に居るだけで大喧嘩をする。
愛されるだけの、努力が足りていないだろうと思っていた。

しかしながら、大人になるにつれて、様々な知識や自分の生きづらさを調べるうちに、いくつか辿り着いたことがある。

我が家は、機能不全家族であり

父、母ともに発達障害の気があり
その気質は、我々姉妹3人ともに少なからず受け継がれているということだ。

さて、話は元に戻るが、帰省した次女のマシンガントークに辟易としている私は、それを嫌だとなかなかいえないのである。
次女は、はっきり言われなければわからないのにだ。
これは、次女の問題ではないのだ。


私は、見捨てられ、愛されなくなって、家族から必要とされなくなるのが怖くて、喉の奥が詰まるほど姉の話にストレスを感じていても、やめてと言えないのだ。
そう、これが私の障害であり、恐らく親から受け継いでしまった気質の様なものなのだと思っている。

さて、一番最初に、私はきょうだい児にあたると言ったわけだが。

私自身が、そこそこ強い共依存型のパーソナリティ障害だとすれば、姉たちもまた私のきょうだい児にあたるのだ。
いわば、姉たちも私の障害の犠牲になり、
私が普通の人ならば受けなくともよかったであろう被害を被っているのだろう。

そう考えると
もう、なんのこっちゃわからん。楽しく生きたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?