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人は丸くなれるのか?そもそも「丸」って何?

対人で、人と衝突する人を、「尖った性格」と評価することがあります。
この尖るの反対が「丸くなる」と言いますが、
こう性格を表現するのは日本語だけです。


英語で、丸くなったね、という表現は
He got soft. とか
She became mellow‥と言います。
他にも、He's really settled down「落ち着いた」という表現もあります。

soft.とかmellowとか「丸」とか「尖る」という表現ではありませんね。

私も、社会の中で、人とよく衝突してきました。

何度も衝突しているうちに、

性格を「まるくしたい」と思うようになりました。

こうした考え方を諭した禅語が「禅語「閑古錐〈かんこすい〉」です。

掛け軸などにもよく書かれている禅の言葉です。


閑には、「ひま」とか「静かに落ち着いている」という意味があります。
錐は、大工道具の「きり」ですから、古錐とは、古くなって先が
の丸くなってしまった「きり」のことです。
閑古錐とは、先が丸くなって使われなくなった「きり」のことを指します。
錐は先もするどく、容易に穴をうがつことができますが、
反面よほど注意をして使わないと、指先を傷つけることにもなります。

しかし、使い込まれて先の丸くなってしまったきりは、使用こそ出来ませんが、その胴も黒光りをし、何ともいえない風格がそなわり、人を傷つけることもありません。

人間も、若くて意欲的な時には仕事もばりばりとできるかわりに、時には
利害のからんだ人を傷つけてしまうこともあるでしょう。
若者も年と共に円熟味が増して穏やかな人柄と重厚な存在感をそなえるようになっていけば、先の丸い錐となれるのでしょうか?

この禅語は、円熟した道者に対する尊称で、円熟味を増した人やものには、素晴らしい価値があるという意味です。

先が磨り減って角がなくなって丸くなり、無用の錐のように忘れ去られてしまった存在ではありますが、禅の教えでは、人知れず平凡に暮らす普通のお年寄りに見えて、実は悟りの頂点に達した人のことをいいます。

私たちは、効率的、合理的が第一であるかのような評価しか無い世界を生きています。
現代社会は「目から鼻に抜ける」ような怜悧な行動を取る人材を求める傾向や風潮が強くなっていきます。
ときには効率や合理を度外視してみませんか。

人間味溢れる行動や判断ができる人を時には大切に。

「閑古錐」という禅語には、「尖らずに、そのままのあなたでいい」と

自分らしくあろうとする生き様を評価してくれる言葉です。


自分のこれまで歩んできたこと、

仕事ぶりや対人関係に自信を失うことなく、


胸を張って、正々堂々と生きていく、

ありのままを大事にしたいですね。


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