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「恐れるな 大丈夫だよ」施無畏の極意


恐れるな  大丈夫だよ

何をそんなに迷っているの。

恐れがあるのはあなただけではないよ。

恐れないで、むかってごらん。

「施無畏」とは「無畏を施す」という禅語です。

観音菩薩が発したとされる言葉で、
畏(恐れ)れ無いことを施すという意味から、この世の人々からあらゆる恐怖を取り除くという観音経の中に出てくる慈悲の言葉だそうです。

 人は誰もが常に悩み、苦悩を抱えて必死に生きています。それは将来や現実の生活の中で、様々な人や物に出会い、触れることで生まれてしまうこと。言わば、苦悩は生きている証。この世に悩まずに生きている人などいないでしょう。どん底まで悩みきった人に、たった一声「恐れなくていいよ。きっと大丈夫」と声をかけると、無責任だとお叱りもあるでしょうが、声をかけられることで、救われなくても、迷いが解決せすとも、声をかけられた人は「まだひとりじゃない」「大丈夫?そうかもしれない」と前向きな気持ちが発生すれば、景色が大きく変わるでしょう。


この言葉に救われたと感じ、自己での解決力や治癒力が高まることもあります。
言葉には人を救う大きなパワーがあるのです。

ある日、鉄舟先生の高弟の鳥居得庵という人が師匠の鉄舟先生に 「剣道の極意とはどんなことですか。」と問うたところ鉄舟先生は、「浅草の観音様に預けてある。」と答えられたと言います。
 そこで得庵が浅草寺におもむいた所、寺門に 「施無畏」 の扁額が掲げられてあったのが目に付きました。
道場に帰った得庵はそれから、自分を畏れず、相手を畏れることなく、猛烈に剣道を修行したといわれています。
それから剣道修行者の間で有名な言葉になりました。

一対一で、対峙する時。より高度な技術を身に着けていることが自信となり、相手を畏れない気持ちにつながるでしょう。また、どんなに辛くとも、苦しくても、我慢して技術を身に着ければ、試合でも、練習でも、自分を、そして相手をも畏れない強い精神力を身に着けることができるという教えであります。
 
阿弥陀如来は異名を無量光仏光といい、現世をあまねく照らす光の仏です。光は慈悲であり、煩悩にとらわれることを無明とはよくいったものです。
光なしに真理は見えません。
施無畏とは自分の努力に光をあてることにもなります。

このような高大な理想のもとで、日々修行が行われていることを一人、一人が心に秘めて人生という修行に努力しなければなりません。

ちなみに、山岡鉄舟先生は9歳から剣道を始め、17歳で北辰一刀流の千葉周作先生に師事し、後に春風館道場を設立し、無刀流を開祖しました。生涯「剣の道を通して人間の完成をはかった。」といわれています。

「剣の心を極めなければ、人間も完成されない。」という言葉を残されております。
「一芸に通ずる者は、万芸に通ず。」という諺がありますが、どんなことでも真剣に努力すれば、誰でも大成できます。やれば出来るのです。

努力は人を裏切らないと言いますが、耳障りの良い言葉とバカにして捉えてはなりません。


実際に、自分の弱さに負けないで、相手を畏れることなく頑張っている人が多くいるのですから。

想像は行動を変えます。自信は夢を現実化するのです。


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