瑞気満堂の春を待つ

「瑞気満堂」(ずいきまんどう)

瑞気(ずいき)」とは「めでたい気」「新鮮で、かつ美しい気」という意味。


その有り難い気が堂(家・茶室)に満ちることは、縁起の良いことです。


昔の人は、この「瑞気」をいかに家や体に取り込むために、神棚を祀りました。神棚に飾る榊(さかき)の枝は、「栄える樹」で「サカキ」と呼びます。
つまり、榊の持っている、常に栄え続ける瑞々(みずみず)しい気を家の中に取り込むために飾るのです。「瑞気」を呼びこむと家が栄えます。
禅語では「瑞気満堂の春」という言葉もあります。今年一番の寒さが列島を覆いましたが、春はもうすぐです。万物回生の春は枝先に芽が芽生えるように「瑞気」も満ちてきます。さあ、窓を開けて、外の新鮮な空気、瑞気をウチに取り込もうではありませんか。

人には誰もが生まれつき「幸せに生きる」力を持っています。
そう話すのは中村天風氏です。
中村天風氏は30歳の時、結核にかかり死を宣告されました。
その時に、サラ・ベルーナが一冊の本を手渡しました。それはカントの伝記でした。少年カントは体が弱く、いつも喘息に苦しんでいました。十七歳になったある日、巡回医師にこう言われました。

「体は気の毒だが、心には異常はない。心が健康であることを喜びなさい。これからは病気であることを忘れて、ひたすら興味のある学問に打ち込みなさい」 このアドバイスが契機になって、ケーニヒスベルグ大学に入り、研究に打ち込んだ結果、ヨーロッパの合理主義とイギリスの経験主義を統合した批判哲学を樹立し、近世における最も重要な思想家といわれるようになりました。カントは八十一歳で亡くなりますが、こう言ったと伝わります。「病があってもそれを乗り越え、研究を続けることを可能にした自分の心の強さに感謝する」

感謝しなければならないこと。それは、生きていること。
まだ死なずに生きているということとは、まだ生かされているということ。
気づきさえすれば、再出発できる。
不運を嘆く生き方は「間違っているぞ、目を覚ませと警告する為なんだ。お前に自ら悟らせようとするから、じっと我慢しているんだ。お前がまだ生かされているということはそういうことなんだ」。

やるべき事や建設的で創造的なことに集中すれば、病を忘れる。
自分の気持ちをマイナスに留めておいてはいけない。心が主体だ。人生は使命を成就するためにあるのだ。

人生の目的のない人は、「道を歩いている人に、どこへ行くんですか?と聞いた時、『わからない。足に聞いてくれ。ただ右と左の足を交互に動かしているだけなんだ』と答えるのと等しい。行き先もハッキリしないで、よくも歩いている」


私は何をするために、この世に生まれてきたのか。何をするためにお前は遣わされてきたのか、考えたことはあるのか

思考は現実化する。

人間の心で行う思考は、人生の一切を創るのです。

だから、どんな時でも、消極的な方向から、物事を思ったり、考えたりしてはいけないのです。

人間は宇宙とつながっています。宇宙からのエネルギーの受入量が多くなれば、人間は生命の強さを獲得することが出来る。

人間の思考とは宇宙と結び、夢を叶え、人生を前進させるツールとなるのです。

言葉には人生を左右する力がある。この自覚こそ、人生を勝利に導く最良の武器となるます。

人を傷つける言葉、勇気を挫くような言葉、あるいは人を失望させるような言葉、憎しみ、悲しみ、妬みの言葉は、自己の運命を破壊します。

消極的な言葉や悲観的な言葉、非難するような言葉は使うまい。

人々の心に勇気を与える言葉、喜びを与える言葉を使うように心がけること。

言葉は潜在意識に影響を及ぼします。

世の中は本質的に楽しいと思うのです。


この世の中は苦しいものでも悩ましいものでもない。この世の中は本質的に、楽しい、嬉しい、調和した美しい世界です。

人生は我々が見ている世界そのものによって決まるのではなく、自分がどのように世界を見ているかでもって決まるのです。

真理は、自分自身の内にある。生命は大宇宙の生命と通じている。

だから感謝、感謝。人生を与えられたことを感謝することから始まるのです。

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