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いいところ探し #1

 数年前、会社の後輩に「先輩は人のいいところを見つけるのが得意なんですね」と言われた。社内でUniposという、人のいい仕事を称えたり感謝を伝えあうサービスを使いはじめた時のことだ。
 本来は「分かりやすい資料をありがとう」とか、「部内表彰受賞おめでとう!」みたいな業務上のことを伝え合うサービスだ。私はそこに同僚の「美味しいランチの店を見つけるのが上手」だの、「3つ目のグループだけ納会の出し物が制限時間内に終わっているのがすごい」というような、いちいち細かいことを投げ込んでいた。
 得意というより既視感があり、単に懐かしかったのだ。それは小学生の頃に学校でやっていた「いいところ探し」と全く同じだった。

 小学校低学年のころ、「いいところ探し」は年に数回の学級活動だった。クラス全員が一人ひとりの長所を小さな紙に書いて、先生が最後に一人ずつ一枚のプリントにまとめてくれた。私はいつも張り切って書く子どもだった。他人を通じて知る自分や友達の姿が新鮮だったのだ。
 「Yちゃんは絵が上手」とか、「Tくんが給食のお皿を運ぶのを手伝ってくれた」とか、せっせと頑張って人の長所を書いた。その割には、自分がもらうプリントには「色が白い」「頭がいい」みたいな同じようなフレーズしか並ばなかった時はがっかりした。「みんな観察力と表現力が足りない!」と内心プンプン怒ったりもした。
(自分にはもっといいところがあると疑わなかった図々しさだけは、今ならいい根性してると書いてあげたい。)

 いいところを探す面白さは、何も人だけでは無い。どんな状況でもいいところを探す姿勢は人生のQOLを左右する。私は去年から、毎日の生活の中で出逢った「いいところ」をiPhoneのメモ帳につけ始めた。

「5/22 地元のベーグル屋さんで買った明太子ベーグルが美味しかった」

「5/25 高校時代の友達のお姉さんに偶然会った」

 放っておけば記憶にすら残らないささいなことだ。自己啓発本やセルフケアのアフィリエイトサイトで、「幸運を引き寄せ」だの「ポジティブシンキングになろう!」などといって、よく紹介されている手法で、昔は胡散臭さに気にも留めなかった。
 始めたきっかけは、身内の不幸が立て続いたことにある。一時は何もかもが絶望という眼鏡を通してしか世界が見えなかった。この先楽しいことなんか一生ないかもしれないとさえ感じていた。それでもわずかな希望を見いだしたくて、何もない日には「燃えるゴミの日にごみを捨てられた」ことですら書き残した。

「朝ごはんのパンが美味しかった」

「おみくじが中吉だった」

「何食べのドラマが面白かった」

 コツコツ積み上げて約一年。確証を持って言えるのは、残念ながら街角で玉木宏に巡り合うような暁光はなかったし、劇的なポジティブシンキングマンに変化を遂げたりはしないということだ。コンクリートに叩き付けられるような悲しいことや嫌なことは相変わらず訪れる。
 ただ、地面に打ち付けられた後、なんとなくふわっとしたワンクッションを感じるようになった。気がつくと、またむくりと起き上がっていいところを探す日常を送っているのである。 
 日々の小さな喜びをパッチワークのようにつなぎつづける作業は、いつのまにか柔らかなセーフティーネットを編む営みになっていた。
 止まない雨はない、なんて言葉を渦中に言われても全く響かない。でも結果的にそうなるとしか言いようがなかった。

 いま、コロナウィルスが全世界を混乱と絶望の嵐に巻き込んでいる。得体の知れない疫病と隣り合わせの毎日は恐怖だ。経済は打撃を受け、仕事にも大きく影響が出ている。プライベートで新しく始めようとしていたことや、会いたい人に会う予定もすべてふき飛んでしまった。不安な心だけが奇妙に宙に浮いている。
 それでも、リモートワークのできる職場だから、受け身をとる猶予期間があること。プランターに巻いた野菜の種から芽が出たこと。毎朝近所を散歩することをルーティンにしたら、かわいらしい神社を2つ見つけたこと。季節はいつのまにか春を過ぎ初夏を迎えている。散歩の間に見た新緑がきれいだったこと。そんなことを書き連ねている。

 どういうわけか、今では書き忘れるとSiriに「そろそろ良かったことをメモに書きなさいよ!」と急かされるまでになった。AIにも期待される希望のリストの爆誕である。
 これからも淡々と書き続けようと思う。このコロナが終息する日に、「終わった」と書けることを心待ちにしながら。



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