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【2023.09.18】書くことに対する心の抵抗を外す

こんにちは。danskです。
三連休は皆さんいかがでしたか?私は三連休だということを金曜日まで知らなくて、慌てて旅行に行くことに決め、なんだか慌ただしい週末でした。ゆっくりインプットーのほうが良かったんですが、家族と行動をするとなると、思うようにならないことも多々ありますね。

さて、noteの更新が少し途絶えがちになってきました笑。

これは、いくつか理由がありまして、今日はその理由とそれに対する対処を書いてみたいと思います。


■書くことへの心の抵抗

1.人から読まれていると意識してしまう

これが一番大きな理由だと思います。どうせならたくさんの人に読んで欲しいという欲望が生まれてる!ということです。だから、自分の書く内容が人が読むほど価値があるものなのかと考えて、その内容にそぐわないと感じると書くことを辞めてしまうか躊躇ってしまっています。また、人から読まれているかもしれないが故に、批判が怖くなっているとも言えます。本当はAstarについても書いてみたいなと思いつつも、書けないのは、やはり人の目を気にしているからに他なりません。(特に今の時期は。)

2.インプット不足

自分の文章が人に読んでもらえるものにする為には、人の役に立つ内容を書かなければなりませんから、インプットが不足していると、満足できる文章になりません。もっともっと調査をして濃い内容の文にしたいのですが、そこまでのインプットの時間が確保出来ていないということが自分の書くものに対する不信に繋がっています。

3.書きたい内容の整理が不十分

ほわっとアイデアが浮かんでも、それを言語化して文章に落とす為には、抽象化して整理しなければなりません。また説明をする過程で、ある程度の肉付けが必要になります。どのようにして伝えるかについての筋立てが必要なのに、ふわっとしたアイデアのまま置いており、アイデアが煮詰まっていなかったり、整理ができていないことも理由の一つとして挙げられます。

4.人と比べてしまう・質への不安

これは1.2.と関連しますが、書いているとやはり人の文章も気になります。人の文章を読んで、素晴らしいリサーチ内容に感動しつつも、自分にはこのような表現の仕方は出来なかったなぁとか、ここまでの知識がないのに私なんかが書いても大丈夫なのかな?と感じてしまって、書くことを躊躇してしまうことがあります。特に「誤ったこと」を書いてしまうリスクについて、敏感になっているように思います。これは、結局リサーチ不足がそうさせてしまうのかもしれません。

5.目的を見失いがち

そもそものこのnoteは、自分のアウトプットの為に書くということが目的であったはずなんですが、いつの間にか人から読まれるために(インプレッションを稼ぐために)書くことを意識してしまっていました。スキをもらえたり、読む人が増えたりすると、自己顕示欲や承認欲求が満たされ、逆にそれを失うことを怖いと思うようになっているのかもしれません。

■心の抵抗を外す方法

1.目的を見失わない

まずこれですね。自分は何のためにこのnoteを書き始めたのか、です。目的は外にアウトプットすることで、インプットの効率を高め、考察を広げて、より深く物事を理解をする為です。なので、その文章が人の役に立つことは二の次で、自分のためというのがまず先に来るということです。

こう書くと、人の役に立つか分からないことをnoteで書く意味がないのでは、となるかもしれませんが、人に読まれることで、人に説明しないといけないという意識が働き、より精度が高いインプットが可能になると期待して、外に向けて発信をしています。

なんか辻褄が合わないように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、優先順位としては、①自分のためのアウトプットが先に来て、②人の役に立つためのアウトプットが後に来る、ということです。

書いてる内容がより詳しくなってきて、結果的に②人の役に立つアウトプットが出来た、となることは有り得るかもしれないですが、その場合でも、①の自分の為になるアウトプットが成立してこその②になるのです。

この目的を見失わないようにしなければいけません。

2.自意識過剰になり過ぎない

こうして、人から読まれることを想定しすぎて、1人で何となく書きづらくなってしまっているのですが、そこまで自意識過剰になり過ぎないことも大事かと思います。なんか一応外に向けて発信しているので、全国民が読んでくれているような気に一瞬なっていましたが、ほんと読んでくださっている方はインプレッションが示すとおり、悲しいかな、まだまだ極わずかです笑。だからといっていい加減なものを書いていいというと、そういう訳では無いのですが、そんなに人の事は意識しなくても、そこまで多くの方にリーチしてないので大丈夫だよと自分に言い聞かせたいと思います。

3.いずれ質が伴ってくる

いまはまだ自分の書く文章は、このレベルです。このレベル感を客観的に把握しつつ、書き続けることで必ず質が伴ってくると信じることも大切だと思います。何故なら、同時にインプットをしているからです。人に読んで貰う可能性のあるものを書いている以上、きちんと人に伝えるために、正しく理解しようと脳が作動しているはずです。なので、普通にインプットだけしてる時よりも質は向上しているはずなのです。そして、インプットとアウトプットのサイクルを回しているうちに、よりアウトプットが上達していくことが考えられます。まだ始めたばかりで、質が人より劣るからと、卑下することなく、とにかく量をこなしていくことが大切なのだと思います。

4.批判されてもいい

ここはまだされたことがないので、実際どうなるか分かりませんが、もし批判された時の心構えとして、批判されても気にしないというスタンスでいたいと思っています。

批判されることがむしろ多様な考えの方にリーチしている証拠だと考えれば、ダメージも軽減されるかもしれません。

批判されたこともないのに怖かっているのは、オバケを見たこともないのに怖がっている子供の心境にも似ているのかもしれません。意見の相違くらいに考えて、自分事に集中することが大切なのだと考えるようにしたいと思います。

5.書くことを続ける

辞めたらそれでおしまいです。何か大きな転機が訪れて、辞めなければならないようなこともあるかもしれませんが、ここで自分が感じたことを残していくことは、自分がここに生きた証を残す作業でもあります。その為に書いているというのは前にも書いた通りです。


だから、つまらない事でも、書くことを辞めない。人からどう見えるかという自分よりも、何にも影響されない本来の自分を残せるようにする方が意義のあることだと再認識したいと思います。

■書くことは自由

何を書いても自由です。批判されようがされまいが、人の役に立とうが立たまいが、書く内容は自由です。
人に読んでもらって報酬をもらおうと思うと、それは人の役に立つような情報や考察を書かないといけないかもしれませんが、ここでの目的はそうではないので、批判は恐れずに書きたいことを書こうと思います。

あ、でも人の悪口や人が不快になるようなことは書かないように気をつけます。これは自由をはき違えてはいけないので、そこには留意しなければなりません。

そんなことを考えてたら、また書きたいことが出てきました。とにかくなんでもいいので、実際の行動に移すことが先決ですね。

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