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トランスアスリートに対する嫌悪について|ディスクゴルフが失いつつある精神

この週末、アメリカのテネシー州ナッシュビルでおこなわれている、ディスクゴルフ・プロツアー(DGPT)の「ミュージックシティ・オープン」で、現地時間4月20日の朝、競技と観戦が一時中断される騒ぎがありました。

FPO部門(女子のトップカテゴリ)に参戦しているトランスジェンダー女性アスリートのナタリー・ライアンに危害を加えるという脅迫があったためです。

脅威の種類や他のプレイヤーへの危害については言及されていなかったとのことですが、DGPTは安全確保プロトコルを発動し、地元警察による調査が完了するまで、すべての人(プレイヤー、観客、ボランティア、出店者など)が対象エリアから退避させられました。警察による確認のあと、追加の安全対策がなされたうえで、数時間後に競技が再開されました。

DGPTのCEOであるジェフ・スプリングは、「暴力による脅迫はまったく容認できないものであり、スタッフ全員が最大限の真剣さをもって対応している」「現場にいるすべての人に対する安全対策を強化するため、追加のセキュリティリソースを配備することとなった。 これらの措置は週末の残りのあいだ実施される予定である」と述べました。


ここからはわたし個人の見解です。

わたしは、ジェンダークィア(広義でのトランスジェンダーに分類される)のひとりとして、トランスアスリートに関する議論に関心を持っています。

トランス女性アスリートの女子部門参戦に関する議論について、現在のわたしの意見はこうです:

  • 前提として、トランス女性は女性であり、これは議論する項目ではない(スポーツ以前の人権の問題である)

  • そのスポーツの現在のルールで、トランス女性の女子部門への参加が認められており、当該トランスアスリートが決められた条件やテストをクリアしたうえで公式に参加しているのなら、彼女個人の参戦については、議論する項目ではない

  • ほんとうに公平性に関する議論をしたいのなら、まずはじめに、トランスアスリート個人への攻撃をやめるべきである

  • 「議論をしたいだけ」と言いながら、個人への攻撃を続けるなら、それは嫌悪である

  • 現在のルールに不満があるなら、組織(ディスクゴルフならPDGA)に訴えればよく、個人を攻撃する必要はまったくない

  • 公平性に関する不安感情については理解できる

  • 公平性についてはさらなる科学的な研究や調査が必要と考える

  • より明確な結論が出るまで、愛とやさしさを持って、冷静に議論を進めていくべきである


アメリカでは、最近の過激な保守派また福音派クリスチャンの主張(前大統領ドナルド・トランプ、フロリダ州知事ロン・デサンティス、極右陰謀論者で共和党議員のマージョリー・テイラー・グリーン、またFOXニューズなどが煽っている思想)の影響を受けて、反リベラルまた反LGBTQ+の波が起きています。

フリスビー遊びやディスクゴルフは「ラブアンドピース」なヒッピーカルチャーから生まれたものです。「ディスクゴルフはみんなのもの」という平和で包括的な精神が長く維持されてきたのですが、ここ数年の人気と発展によるプロフェッショナルスポーツ化と、このごろの社会の右傾化によって、ディスクゴルフコミュニティでも保守的な雰囲気が強くなりました。


FPOプレイヤーのなかにはトランス排除派フェミニスト(TERFs)が多く存在します。少し前には「女性スポーツを守る」としてグループで会見を開き、ジュニア女子プレイヤーたちにプラカードを持たせ、後ろに並ばせたうえで、有名プロのカトリーナ・アレン、ジェニファー・アレン、サラ・ホーコム、コナ・モンゴメリー、レベッカ・コックス、ジェシカ・ウィーズ、キャット・マーチなどが主張を展開しました。

彼女らは「公平性に不安を抱いている」「これは嫌悪ではない」「個人への攻撃ではない」「議論をしたいだけ」と言いましたが、実際には、ナタリー・ライアンの名前を何度も挙げ、彼女の参戦への反対表明を、涙ながらに感情的におこなっただけでした。


トランスアスリートの話題は議論を呼んで視聴数が上がるため、ディスクゴルフのポッドキャストなどを運営している人々は、それをあえて話題にし、トランスアスリートに対するヘイトコメントを放置します。

そのような場所ではミスジェンダリング(意図的に「彼」や「ヤツ」と呼ぶ)やデッドネーミング(意図的に出生時の男性名で呼ぶ)が横行しています。


このようなレベルの現状では、ほんとうの議論など到底できない、というのがわたしの意見です。いまおこなわれている「議論」は、議論のふりをした嫌悪の表明です。


今回の脅迫によって、いったいだれが得をしたのでしょうか。競技が止まり、みなが脅威を感じ、主催者に多大な負担がかかったのです。

嫌悪や憎悪はだれの得にもならず、ただすべての人を傷つけるのです。

ヒッピー時代に戻ってほしいとまではおもいませんが、ずっと維持してきた包括的な精神を失うことなく、このスポーツが発展していくことをわたしは願います。

Sho Okuma | Dappled Light Disc Store

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