見出し画像

【1993/9/15 毎日】カンボジアPKO 任務完了し帰国

全体概要

総じて現場の喜びの声を伝え一定の評価をする一方で、政治的思惑や、議論の甘さ、今後の在り方を報じている。

記事説明

1面左下:「パパーッ、お帰り」

カンボジアでのPKOに北海道から参加していた陸上自衛隊第二次施設大隊の帰国第一陣が国連チャーター機で自衛隊千歳基地に到着。
山口那津男防衛政務次官は「カンボジアの復興に努力され、心強く感じている」と労をねぎらった。
同隊は派遣目的の道路補修に加え、選挙支援やシアヌークビルの港湾施設整備などを担当。小森宏副大隊長は「諸外国に引けを取らない仕事ができたと確信している」と語った

毎日新聞 1993年9月15日 朝刊 (一部抜粋)

3面:安全とのはざまに揺れ 「今のやり方では限界」

現場の喜びの声を伝える一方で、今後の活動や憲法上の課題にも触れている。
カンボジアでの自衛隊は犠牲者ゼロ。衝突事件に巻き込まれ現地の人を殺傷することもなかった。
「初登板でノーヒットノーランの百点満点だ」と自ら何度も現地に足を運んだ元陸将も喜ぶ。
だが、PKOの主役だった陸自の「ホッとひと安心」には微妙な影がある。
自衛隊は五月半ば、モザンビークPKOに中隊48人を派遣した。
ほかに軍事部門司令部の要因として隊員5人も送り込んだ。カンボジアPKOでは「連絡幹部」というあいまいな形だったが、今度は正式要員。
「後方支援ではなく、凍結されたPKFに抵触するのでは」というクレームに、防衛庁は「個人参加だから問題ない」と押し切った。

毎日新聞 1993年9月15日 朝刊 (一部抜粋)

PKO反対論や別組織論の多い細川連立政権が登場したが、自衛隊海外派遣の憲法上の是非は残されたまま。日本の国内事情に関わりなく次々とPKO派遣要請が押し寄せそうな現状の中、”現状”を担う自衛隊や警察、ボランティア志願者も、国際貢献と安全のはざまに揺れ動いている。
毎日新聞 1993年9月15日 朝刊 (一部抜粋)

毎日新聞 1993年9月15日 朝刊 (一部抜粋)

9/16 3面:「国際貢献、実感できた」

PKO隊員20人に聞く
質問は「国際貢献をじかんできたこと」と「細川新政権と今後のPKO活動のありかた」の二点。ほとんどの隊員が現地での活動を通し、国際貢献ができたと回答。
細川連立政権に対しては不安と戸惑いも見え隠れした。

毎日新聞 1993年9月16日 朝刊 (一部抜粋)

9/16 社説 自衛隊派遣の教訓生かせ

施設大隊のカンボジア派遣は、自衛隊がPKOに本格的参加した初のケースだった。それだけに、PKO協力法の運用上の問題が次々に浮上した。
施設大隊に課された本来の業務は、道路と橋の補修だった。
ところが国連カンボジア統治機構(UNTAC)の要請に従い、総選挙の投票箱の輸送・管理など、新たな業務が次々と加わり、業務実施計画は変更に通津変更を余儀なくされた。
総選挙の投票日には、事実上の「警護」にあたる「巡回」活動までも行った。
さらに、PKO参加五原則では、停戦合意が崩れた場合には、独自の判断でPKO業務の中断、あるいは要員の撤収ができるはずだった。しかし、実際にはいずれの場合もUNTACの判断に従う形となった。
幸いにもほとんど攻撃を受けることはなかったが、一方、先頭に巻き込まれた場合に、どう対応するかについても、明確な指示はなく、武器使用の解釈もあいまいなままだった。

毎日新聞 1993年9月16日 朝刊 (一部抜粋)

9/19 「政治大国」を模索 国内で議論無いまま

カンボジアPKOが成功裏に終わり、日本は「カネ」と「汗」の二つの手段を通じて世界の平和のために役割を果たせることを一応は示した。
外務省がその先に見るものは、第二次世界大戦終結と国連発足から50年の節目に当たる1995年の国連安保理常任理事国入りだ。
この7月、同省は国連に「安保理においてなしうる限りの責任を果たす用意がある」と事実上の立候補宣言を行い、政治大国をめざす決意を内外に示した。
常任理事国候補として抱負、経験を問われるとこだが、日本国内ではPKOの次のステップへ向けての掘り下げた議論はほぼ見当たらない。PKO協力法案をめぐる議論が展開された1年前の国会がウソのようだ。

毎日新聞 1993年9月19日 朝刊 (一部抜粋)

9/25 連立政権にかわり 市民団体に戸惑い

伊藤滋運輸相は「時々ウーン、と考えている」と苦しげ。
「個人的には(PKOと国防軍を分割する)スウェーデン方式がいいと考えるが、先の国会での社会党の代表質問では、党として現行PKO法を尊重するとしている。今後議論をしていかなければなあ。戦った社会党としては」と述べた。
一方、市民団体の動きも目立たない。
PKOに反対する市民団体「九十九の波」の松本さんは「社会党という国会の場でPKO反対を支えてきた政党が支持されなくなったことで、現実問題として、海外派遣が容認されつつあることに戸惑っている。保守べったりの職業政治家にはもどかしさを感じる。今後ももちろん反対していくが、団体でやるより個人で戦っていくしかないという気持ちだ」と話した。

毎日新聞 1993年9月20日 夕刊 (一部抜粋)

まとめ

国際貢献

安保理の常任理事国入りを視野に入れている、国際貢献の実績を作る、など日本の国際的な立ち位置的な問題を取り上げた。

現行のPKO法と現実問題との乖離

実際に現地では活動内容が変更に次ぐ変更だったことも取り上げ、戦闘に巻き込まれた際の対象法や活動範囲、さらには憲法上の理由など、議論の詰めの甘さに言及している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?