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第一章 動乱前夜 登場人物(一)

■第〇服■文禄三年
田中道安【たなか どうあん】
■配役■伊藤英明
 生歿年■天文十五年西暦1546年慶長十二年西暦1607年二月十七日3月14日
 戦国時代から江戸時代初期の茶人。堺千家の主。始め紹安。後に道安。号は、可休斎、不休斎、眠翁、泉南道安老人など。本作では四郎右衛門★。田中宗易の長男。母は宝心妙樹。宝心が没し利休が再婚すると、以後は利休と折り合いが悪くなり若い頃に家を出た。のちに利休と和解するも、義弟・少庵との折り合いは悪く、終生茶会に同席しなかった。秀吉没後、慶長六年西暦1601年、細川三斎に招かれ、茶頭となり、豊前水崎で三百石を拝領。慶長十二年西暦1607年、豊前の地にて死去。

渡辺道通【わたなべ どうつう】
■配役■加瀬亮
 生歿年■不詳
 本作では永禄六年西暦1563年生とする。利休の妹と渡辺与兵衛の子。喜兵衛のち長左衛門。魚屋立安。阿波千家の祖。天正の初め頃に蜂須賀家政に仕えた渡辺与兵衛が戦死したため、利休が養育した。のち道安の右腕となり、阿波でうを屋を起ち上げる。

田中康隆【たなか やすたか】
 生歿年■不詳
 本作では永正十三年西暦1516年生。利休の兄で、与一郎。史実では詳しいことは分かっていない。本作においては、千屋を継いだが、利休切腹と道安蟄居により、斗々屋を預かる。慶長七年西暦1602歿。

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■第一服■大永二年
田中与兵衛【たなか よへえ】
■配役■桂文枝
 生歿年■生年不詳〜天文九年(1540)十二月八日
 本作では、明応六年(1497)生★。利休の父。与右衛門の嫡子。千屋の次期当主。田中了専。

田中与右衛門★【たなか よえもん】
■配役■林与一
 生歿年■不詳
 本作では〜天文七年西暦1537年
 田中与兵衛の父。利休の祖父。千屋★の当主。のちの田中道悦。本作では、田中左兵衛の斗々屋の番頭であったが、入婿して岳父・左兵衛、義兄・与左衛門を支えた。姪の仁左衛門が跡を継ぐと、左兵衛の計らいで千屋を興した。

田中紗衣【たなか さへ】★
■配役■堀内敬子
 生歿年■不詳
 利休の母で、与兵衛の後妻。

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第二服■大永二年
三好之秀【みよし ゆきひで】★
■配役■中村吉右衛門
 生歿年■不詳〜天文元年六月十五日1532年7月17日
 彦四郎、蔵人、山城守長基。三好之長の同母弟★。彦四郎之秀は、系譜上一秀とされるが、本作では三好長秀の子と同名であると紛らわしいため、長兄である之長にそろえて之秀とした。

田中多呂丸【たなか たろまる】★
 利休の兄。のちの田中康隆。

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第三服■大永三年
津田宗柏【つだ そうはく】
■配役■本田博太郎
 生歿年■文安元年(1444)〜大永七年(1527)
 又二郎→源左衛門。津田宗達・宗閑・了雲・道叱らの父。さかいの豪商で、堺の会合衆のひとり。茶の湯を村田珠光じゅこうに学んだ。多くの名器を所蔵。連歌を肖柏にまなび古今伝授を享けた。博多と堺を行き来し、細川氏よりも大内氏に依った。宗柏は、博多の神谷宗白の茶道執心に免じて、秘蔵の名器楢柴肩衝を一千貫文で譲り渡した。津田宗柏以前に新次郎(開口神社文書・文明七年)・又四郎紹繁(一休和尚十三回忌出銭帳・明応二年)・又二郎(大徳寺文書・文亀二年)という名前が史料に見える。又二郎は源左衛門に名を改めており、これが宗柏と思われる。新次郎は宗柏の父、又四郎紹繁は叔父と思われる。

鳥居引拙【とりい いんせつ】
■配役■筒井道隆
 生歿年■不詳
 本作では、長禄三年西暦1459年天文六年西暦1537年
 新三郎。堺の人。津田宗伯。村田珠光の高弟で、珠光・武野紹鴎とともに「茶の湯の名人」と称された。茶器の鑑定にもすぐれ、おおくの名物道具を所持、それらをかざるための引拙棚を考案した。号は引雪・印雪とも。鳥居は後世の呼称とも。天王寺屋の一族。本作では宗伯の父の妻・鳥居絢★の弟・鳥居引艾★の子。見た目は大分若い★。

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第四服■大永四年
足利義晴【あしかが よしはる】十四歳
■配役■子役?(向井理)
 生歿年■永正八年三月五日(1511年4月2日)~天文十九年五月四日(1550年5月20日)
 室町幕府十二代将軍。十一代将軍義澄の子。亀王丸。細川高国・細川晴元に推戴された。

細川高国【ほそかわ たかくに】
■配役■野村萬斎
 生歿年■文明十六年西暦1484年享禄四年西暦1531年六月八日7月21日
 細川京兆家十五代当主。野州家当主細川政春の子。政元亡き後、澄之を討ち、家中随一の功とされるも澄元から疑われ、袂を分かつ。大内義興上洛に呼応し、義稙公を支持。義澄公を放逐した。澄元を船岡山の戦いで破り、京兆家当主となる。

千阿弥道啓【せんあみ どうけい】★
■配役■生没年不詳
 配役:未定
 同朋衆筆頭★。千阿弥家★三代当主。千阿弥初代は道円どうえん★。

歳阿弥道奕【さいあみ どうえき】★
■配役■生没年不詳
 配役:未定
 同朋衆。道啓★の弟・道憺どうせん★の子。

万阿弥最恵【まんあみ さいけい】★
■配役■生没年不詳
 配役:未定
 同朋衆。道奕★の妻の親戚。道奕の弟子★。

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第五服■大永四年
細川尹賢【ほそかわ ただかた】
■配役■及川光博
細川典厩家当主。元は外様衆の細川駿河家当主(政光)。高国の命で典厩家を継ぐ。

波多野元清【はたの もときよ】
■配役■阿部寛
波多野清秀の子。高国の重臣。香西元盛と柳本賢治の兄。評定衆。

香西元盛【こうざい もともり】
■配役■佐藤浩市
波多野清秀の子。高国の命で在京の内衆である上香西家を継ぐ。嵐山城主。評定衆。

柳本賢治【やなぎもと かたはる】
■配役■村上弘明
波多野清秀の子。高国の命で柳本家を継ぐ。神尾山城主。

細川賢政【ほそかわ かたまさ】★
細川尹賢の弟。駿河入道宗寅。賢政は本作独自設定。尹賢が典厩家当主となったため駿州家を継いだ。

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第六服■大永四年
細川稙国【ほそかわ たねくに】
■配役■高良健吾
 細川高国の嫡子。聡明丸。典厩家細川政賢女を母とする。大永五年、家督して右京大夫となるも十月に病歿した。

細川持国【ほそかわ もちくに】
■配役■岡田将生
 細川高国の次子。聡叡丸★。母は丹後一色氏。

細川虎益丸【ほそかわ とらますまる】
■配役■三浦春馬
 細川高国の弟。野州家当主。元服して晴国。

細川聡達丸★【ほそかわ そうだつまる】
■配役■佐藤健
 細川高国の末子。元服して高頼。

第七服■大永四年
武田元光【たけだ もとみつ】
■配役■佐々木蔵之介
 若狭・丹後の戦国大名。度々、兵を率いて上洛し、幕府の安定を目指す。高国派。

粟屋勝春【あわや かつはる】
■配役■柳楽優弥
 元光の側近。粟屋党の庶流。剛の者として知られる粟屋親栄の子。母が粟屋下総守家の出というのは、本作の創作。

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第八服■大永四年
朽木稙綱【くつき たねつな】
■配役■筧利夫
 弥五郎。初名・稙広。民部大輔。外様衆でありながら、のちに御供衆となり、内談衆にも名を連ねた人物。京を脱した義晴・義輝を匿い、息子二人を足利義輝に仕えさせるなど、朽木氏を隆盛させた。史実では生歿年不詳。本作では武田元光の一つ下、明応四年西暦1495年生とした。

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第九服■大永四年
松浦守【まつら まもる】
■配役■津川雅彦
 生歿年・生年不詳〜天文二十年代頃
 細川元有家臣。松浦左衛門大夫盛の子。本作では細川元有の子松浦有盛を養子とする。本作では生歿年を文明元年西暦1469年天文二十年西暦1551年とした。和泉国守護代職。官途は左衛門尉→左衛門大夫→肥前守。通称は五郎次郎→五郎。明応九年西暦1500年、神於寺の戦いで細川元有、細川基経らに従い畠山尚順、根来衆と戦ったが敗れて細川元有、細川基経が討死した。大永元年西暦1521年、等持寺の戦いで細川澄元、細川元常、三好之長らとともに細川高国勢と戦い敗退した。大永四年西暦1524年、香西元盛と和泉国菱木で戦い、戦には勝つが、畠山義宣が敗退したため、元常は阿波へ帰還した。大永七年西暦1527年、桂川の戦いでは再び元常の下知に従い、高国方と戦い、単独の和泉国守護代となる。天文十年西暦1541年、三好長慶の支援を受けて畠山稙長と遊佐信教勢と戦った。

松浦盛【まつら もり】
■配役■甲本雅裕
生歿年・不詳
本作では生歿年を明応四年西暦1495年永禄四年西暦1561年三月とする。岸和田周防守の前身と思われる。松浦守の子。本作では細川元常の弟・有盛の後身とした。後に、三好家より十河一存の子を養子に迎え、細川刑部家に代わって和泉守護となる。

細川元常【ほそかわ もとつね】
■配役■松重豊
 生歿年・文明十四年西暦1482年天文廿三年西暦1554年六月十六日
 通称は五郎。官途名は刑部大輔→右馬頭→播磨守。和泉上守護家八代当主。子に元春・晴貞がいる。澄元の側近として阿波に在国。和泉は守護代松浦氏に託している。晴元が在京するとこれを支え、三好長慶とは対立した。

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第十服■大永四年
畠山義宣【はたけやま よしのぶ】
■配役■高橋一生
 生歿年■生年不詳〜享禄五年西暦1532年六月十五日7月17日
 守護大名。河内・山城の守護。畠山総州家五代。正六位下上総介→従四位下右衛門督。義宣は初名。のち義堯と改める。本作では永正六年西暦1509年生とした。

遊佐就盛【ゆさ なりもり】
■配役■長門裕之
 生歿年■不詳
 遊佐盛貞の子。中務丞→越中守。文亀二年西暦1502年、就家が歿すると義英より河内守護代に任じられ河内守を名乗る。惣領家の家督を継いだわけではなく、あくまで次代までの繋ぎと思われる。本作では文正元年西暦1466年生とした。

遊佐英盛【ゆさ ひでもり】
■配役■田邊和也
 生歿年■不詳
 遊佐就盛の次子。長子・基盛が早世したため、家督した。遊佐越州家当主。孫次郎。越中守護代ではあるが、義堯の側近として越中には赴いていない。本作では明応九年西暦1500年生とした。

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