曲斎(月桑庵道舜/碧夢庵宗地@都流)

都流茶道責任教授。 池袋に近い板橋ーー橋袋(バシブクロ)で兼業茶道家をしております(普…

曲斎(月桑庵道舜/碧夢庵宗地@都流)

都流茶道責任教授。 池袋に近い板橋ーー橋袋(バシブクロ)で兼業茶道家をしております(普段はしがないサラリーマン)。シンパパ。 毎月自宅で「お茶会へ行こう」「お茶事へ行こう」という稽古茶会・稽古茶事を開催中! Ameblo「習心帰大道」を平日更新!

マガジン

  • 茶花和歌集

    #花を見たら歌を詠む で詠んだ歌を綴ります。

  • 数寄の長者〜竹馬之友篇〜

    戦国時代といえば織田信長ら三英傑の時代ばかりに注目が集まる中、織田信長が生まれる十二年前|大永二年《西暦1522年》からの歴史を描く。それは応仁の乱終熄から六十年過ぎた信長前史の戦国時代である。 大永二年、堺に生まれたのちの茶聖・千利休は最初の天下人・三好長慶と同い年であり、二人は十一歳まで堺で育った竹馬之友であった。 茶閥とも言うべき歴史の陰のつながりを明確にし、歴史の謎を茶の湯の視点から暴く!

  • 茶道家のひとりごと

    茶道家・月桑庵道舜の茶の湯にまつわる彼是噺を表面を取り繕わずぶっちゃけて語ります。 流儀も禁忌も忖度もなし。 ただし、正しいと思えば君子豹変します(笑) 基本的には茶道のことを中心に、歴史や小説のことも語るかも? ではごゆるりとお読みいただけましたら幸いです♪

  • 茶会記

    「お茶会へ行こう」「お茶事へ行こう」で行った道具立てを掲載します。

  • 裂地図録

    茶道で用いられる裂地の図録。 基本的に所有している柄を紹介します。 持っているものだけなので、数は少ないですが、それに添えた物語も披露いたします。 その内ですが、茶入の逆引きタグも付けたいと思います。

最近の記事

ひなつめの都忘れや愛でたりていつか帰りぬみやまよめなと

ひなつめの都忘れや愛でたりて いつか帰りぬみやまよめなと 月誧  都忘れという名前は鎌倉時代に承久の乱で流された順徳天皇が深山嫁菜を愛でて、都恋しさを忘れたことからついた名前で本来は深山嫁菜といいます。  こちらは家で育てている鉢植えの深山嫁菜です。茶友の宗和先生がお持ちくださったもの。三年目になりますが、今年も元気に咲きました。 #花を見たら歌を詠む #都忘れ #深山嫁菜 #茶花 #山野草 #鉢植え #花を育てて十数年 #和歌 #短歌 #短歌写真部

    • 『数寄の長者~竹馬之友篇~』各話のタイトルを和製漢文に変更しました。 本文冒頭に、読み下しを添えましたので、意味を考えてみていただけますと幸いです。

      • 第一章 動乱前夜 登場人物(一)

        ■第〇服■文禄三年 田中道安【たなか どうあん】 ■配役■伊藤英明  生歿年■天文十五年〜慶長十二年二月十七日  戦国時代から江戸時代初期の茶人。堺千家の主。始め紹安。後に道安。号は、可休斎、不休斎、眠翁、泉南道安老人など。本作では四郎右衛門★。田中宗易の長男。母は宝心妙樹。宝心が没し利休が再婚すると、以後は利休と折り合いが悪くなり若い頃に家を出た。のちに利休と和解するも、義弟・少庵との折り合いは悪く、終生茶会に同席しなかった。秀吉没後、慶長六年、細川三斎に招かれ、茶頭となり

        • 第一章 動乱前夜 和歌解説(一)

          ■第〇服■ 生まれしも帰らぬものをわが宿に 小松のあるを見るが悲しさ         土佐日記 帰京より 生まれた我が子も亡くなり、この家に帰らないのに、留守の間に我が家に生えたての松があるのを見ることは悲しいことだ  『土佐日記』の帰京にある歌で、帰京した紀貫之を待っていたのは荒廃した自宅でした。管理を頼んでいた隣家の無責任ぶりに落胆するしかありません。あてにならない人情に悲哀を感じながら荒れ果てた庭を見ると、留守の間に生えた小さな松がありました。その姿に幼くして死んだ

        ひなつめの都忘れや愛でたりていつか帰りぬみやまよめなと

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        • 茶花和歌集
          1本
        • 数寄の長者〜竹馬之友篇〜
          13本
        • 茶道家のひとりごと
          25本
        • 茶会記
          3本
        • 裂地図録
          4本
        • 月桑庵蔵帳
          3本

        記事

          『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第一章第十服を現在リテイク中。内容は変わりませんが、読みやすいようにしています。

          『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第一章第十服を現在リテイク中。内容は変わりませんが、読みやすいようにしています。

          第一章 動乱前夜 第十服 宣驕勝長

          宣長に勝ちて驕る わすれても汲やしつらん旅人の 高野の奥の玉川の水  高屋城の南に万にも届こうかという軍勢が姿を現した。畠山義宣は我が目を疑うしかない。ほんのふた月ほど前――九月十八日に野田の戦いで敗れ、大和に落ち延びた畠山稙長がどうやってこれほどの軍勢を揃えたのか。  続く十月一日に菱木の戦いで敗れた細川晴宣は這々の態で逃げ帰り、香西元盛や柳本賢治も行方不明になるほどの惨敗で細川高国も兵を失っていた。この短期間でこれだけの軍勢を領国で集めることは難しいというより、有り

          第一章 動乱前夜 第十服 宣驕勝長

          第一章 動乱前夜 第九服 突虚破陣

          虚を突いて陣を破る 恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉  阿波から和泉へ、三〇〇ばかりの兵を連れて岸和田城に細川五郎刑部大輔元常が入った。元常は細川澄元の側近で、阿波に落ち延びた澄元に従い、累代の本領である阿波国河輪田荘を本拠としているのだが、畠山上総介義宣挙兵に連動した一連の策戦の指揮を取るべく岸和田城に帰城したのである。 「殿」 「次郎左か」  元常が絵図を前にして唸っているところに来たのは年老いてはいるが、厳しい面構えの松浦左衛門大夫

          第一章 動乱前夜 第九服 突虚破陣

          第一章 動乱前夜 第八服 光宿朽館

          光朽館に宿す 足引の山に生ひたるしらかしの 知らじな人を朽木なりとも  若狭武田氏の軍勢は、九里半越の中ほどにある国境の若狭側の峠――熊川峠を過ぎ、近江に入って一つ目の町――保坂から南に折れた朽木街道を、既に半刻ほど歩いていた。両側に迫り上がる山の向こうに朽木谷を擁する小椋栖山が見えている。  朽木谷――ここは近江国の北西部にある高島郡の最南部にして、山城国に接する地だった。それ故、若狭と京を結ぶ街道筋として古くから開けている。若狭小浜と京を結ぶ街道の内、最も人が行交う

          第一章 動乱前夜 第八服 光宿朽館

          第一章 動乱前夜 第七服 光発若府

          光若府を発つ 逢ひ見てし後瀬の山の後もなど 通はぬ道の苦しかるらん  陽射しが肌をやわらかく刺していた。室町時代は寒冷期だった江戸時代に比べるとやや温暖であるが、応仁以降少しずつではあるが、気温が下がり始める。とはいっても、体感ではっきりと分かるほどではなく、現代と大きく変わりはない。土肌が多く露出しており、街内も外も緑が豊富で風通しが良いため、体感温度が大きく違っていた。ジリジリとした陽射しであっても、暑いほどではない。風は寒気をはらんで乾いており、心地よく暑気を払って

          第一章 動乱前夜 第七服 光発若府

          第一章 動乱前夜 第六服 二虎競食

          二虎を食み競う 今日はまた咲き残りけり古里の あすか盛りの秋萩の花  義晴公の典厩邸御成から半年ほどが過ぎた同年秋・八月末ころより、畠山義宣挙兵の噂が立っていた。義宣は先年亡くなった畠山総州家前当主・畠山義英の子で、昨年家督を継いで、上総介を名乗っている。  畠山家は、総州家と尾州家で当主の座を争い、この家督争いに将軍が介入することによって将軍家さえ二つに割れ、細川氏と山名氏の全面対決となり応仁の乱が起こった。その戦乱の波は瞬く間に畿内から全国へと飛び火する。その後、敵

          第一章 動乱前夜 第六服 二虎競食

          アルファポリス歴史時代小説大賞

           残念ながら前回よりも低い順位でフィニッシュしそうな感じですね。  現状は99位。明日にも100の壁から突き落とされそうな勢いです。  今回は第一章完結して臨んだ大賞ではありましたが、やはり第一部完結ぐらいでないと駄目なんでしょうねぇ。  今は充電期間と称して他の小説を書いています。奈良時代の架空小説です。怪奇ものというか伝奇ものっぽい感じに書き上げたいのですが、書いたことのないジャンルなので表現できているかどうか。  そちらは2500字=1話、5話=1節。4節=1章

          アルファポリス歴史時代小説大賞

          令和五年五月一日

          令和五年五月一日 癸卯年戊午月丁未日 端午之節供 濃茶席  床 軸  瀧 雪尾要道禅師筆    香盒 古銅 富士 釜 田口釜 川邊庄造作   風炉 唐銅 鬼面 川邊庄造作 棚 真塗 台子 椿原流水作   皆具 鍋島青瓷 松毬摘み 小笠原長春作   茶器 京瀬戸 茄子 桶谷定一作    仕覆 今春金襴 京仕立    盆 真塗 四方 宗燁作   茶盌 黄瀬戸 鬼佛庵楽生作 銘『醍醐』    火箸 唐銅 鳥頭 木村清五郎作   菓子器 縁高 杉木地風   菓子司 柏餅 武州板

          アルファポリス歴史時代小説大賞に応募

           6月1日から始まるアルファポリスの歴史時代小説大賞に応募することにしました。前回も応募しており、結果は69位でした。  前回は5話×5000字=30,000字程度での応募でしたが、今回はもうすぐ書き終わる10話×6500字=70,000字ほどもあるので、少しは勝負になりますでしょうか。  10話で1章。4部構成でここは起承転結の起に当たります。第一章の見出しは「動乱前夜」。  動乱というのは、大物崩れを引き起こす原因となった香西元盛誅殺事件からの大物崩れです。この大物

          アルファポリス歴史時代小説大賞に応募

          『数寄の長者』第六服 発心寺殿は第七服へと変更になります。 これは菱木の戦いの前、武田元光上洛の前に、野田の戦いがあり、菱木の戦いのあとに誉田の戦いがあるからです。 野田の戦いと誉田の戦いについては、詳細が分かっていないのですが、畠山義宣と畠山稙長の争いの一つかと(笑)

          『数寄の長者』第六服 発心寺殿は第七服へと変更になります。 これは菱木の戦いの前、武田元光上洛の前に、野田の戦いがあり、菱木の戦いのあとに誉田の戦いがあるからです。 野田の戦いと誉田の戦いについては、詳細が分かっていないのですが、畠山義宣と畠山稙長の争いの一つかと(笑)

          一足立ちの疑問

           茶の湯や茶道で男性が点前をするときに袴を着けないのは千家などの町人茶だけで、基本的に袴を着けて点前をする。  また、膝を揃えてつくのも実は千家の特徴である。  当流などでは、女性も左立ち膝で立ち上がるため、両膝立ち・両膝坐りを見ると違和感を感じてしまう。  千家は何故、両膝立ち・両膝坐りなのだろうか? 長着でも左膝立ちは可能  実際のところ、長着でも左膝を起こして立ち坐りをすることはできる。  というよりも、そうしないと膝がドスンと畳に付いてしまい、膝に負担が掛

          Nolaさんのお陰でpixivに復帰!