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雷/酩酊/デヴィッド・リンチ

小学生の頃、今以上に雷が怖かった。母親がヒステリーを起こすくらいの雷嫌いで、更にいえば母の母(つまり祖母)が本当にヒステリーを通り越しきちがいとしかいいようが無いくらい雷が鳴ると大騒ぎするので、我が家の女たちに脈々と受け継がれている性質なのだろう。テレビ番組の「奇跡体験アンビリーバボー」で飛行機事故と同じくらいの頻度で落雷事故の再現ドラマを見させられていたせいで、恐ろしさはより根深いところまで刷り込まれていたが、一方で「雷は高くて尖っているところに落ちる」「雷が鳴っている時に周りに何も無い場所に行ってはいけない」などの知識も得ていた。どんな大雨だろうと雷鳴が一度でも轟けば、傘を差すわけにはいかなかった。そうは問屋が卸さなかった。
その日は暴風雨が吹き荒んでおり、呪われたことに世にも恐ろしい雷が盛んに光り嘶いていた。わたしは小学校からずぶ濡れになりながら、しかし傘は閉じた状態で握り締め下校していた。すると通学路にある高校の校舎の窓から数名の女子高生たちが顔を出し、「なんでこんな雨降ってるのに傘差さないの?」と訊いてきた。今だったら間違い無く中指でも立てるだろうが、子供の頃はいい子だったから「傘に雷が落ちて死ぬからです!」と大きな声で答えた。ビッチどもは「うける、かわいい」と笑い大喜びしていた。見下げ果てた阿呆だと思った。自分たちだけは死なないと思っている。自分たちの傘にだけは雷が落ちないと思っている。わたしは誰も死んでほしくない。馬鹿笑いしているビッチども、あなたがたもである。あれから二十年近く経った。雷が鳴ると恐ろしいのは変わらないが、濡れたくないので傘を差すようになった。平然とバイブスを殺すビッチにわたしもなってしまった。

酒を飲んで私室のベッドに寝転がる。まるで帝国ホテルのベッドみたいにフカフカしている。泊まったことは無いけど。今まで触れたすべての柔らかいものを思い出しながら、平仮名の五十音のすべすべした部分を愛撫する。たまにいい香りがする。焼いた肉とシクンシの香り。旧世界の赤い花。服はシミだらけで髪の毛はヤニくさく、全身汗でベタついており、顔には無数の皺と傷跡。それでも今日だけは、これまで起こった幸せな出来事を一つずつ、一つも漏らすこと無く、一瞬も欠けること無く、まったく同じ質量と精度で回想出来る気がする。すごろくをやるみたいにどの目に止まっても何か意味のある、あるいは意味の無いすてきなメッセージが書いてある。それを一つずつ読み上げる。人々から受けたどのような仕打ちも、冷酷な言葉も、打ち捨てられた愛も、それぞれ素晴らしく美しいものに感ぜられ、心の底から祝福したいと思う。
夏の夜の沈んだ空気に金色の紙吹雪が舞う。その一枚を掴んで一番甘いチョコレートの名前を書く。そうするとすぐ、この部屋に可愛い女の子が現れる。誰にとっても特別な女の子が。その子にりぼんをかけ、速達で愛するあなたの元に送る。すべて赦された気になって、わたしはようやく安心して眠ることが出来る。

池袋は文芸坐でリンチの映画を観て来た。まだ興奮している。『マルホランドドライブ』と『ロストハイウェイ』という非の打ち所のない珠玉の二本立て。東口のあの、何一つ文化的な側面の無い、風俗店と飲み屋とパチンコ屋が林立した猥雑極まりない立地に相応しい。
のんびり準備をしてしまったせいで到着したのは上映の十分前、予想通りほぼ満席だった。『マルホランドドライブ』は二列目で観ることになってしまった。というのもわたしは首が痛くなるので映画は必ず目線の高さで観るようにしているので、前の席で観るのは嫌なのだ。しかし首が痛いとも体勢がつらいとも一瞬も感じず、内容を熟知しているにも拘らずまるで初めて観たかのような気持ちで楽しめた。スクリーンでリンチの映画を観るのはこれが最初だった。ローラ・ハリングの美しい乳房よ……。
『ロストハイウェイ』は、白塗り眉無しのおっさんが怖く一度しか観ていないため、内容はすっかり忘れていた。おっさんは相変わらず怖かったが面白かった。パトリシア・アークエットの美しい乳房よ……。でも彼女は裸でいるより服を着ているほうが魅力的だと思った。ワンピースの中身を想像する。あとあの舌ったらずな(少し馬鹿っぽい)話し方と声が堪らない。顔と体は大人の色気の権化にも拘らず、話すのだけを聴くと小さな子供のよう。彼女はかつてニンフェットだったのだろう。ニンフェットの進化後がファムファタルというわけでは必ずしも無いが、この手の魅力は一朝一夕で身につくものでは無い。というか明らかに天性のものである。
リンチの映画が好きなのはもちろん映像が格好いいとか話が面白いとか様々あるが、平凡な人間に殺人を犯させるほどの、抗し難い魔力を持った死神のような女が出て来るからだと今日思った。『ロストハイウェイ』の死神然とした白塗りジジイ=パトリシア・アークエット、という一つの解釈が尤もらしく感じられるのはそのせいである。彼女らの本当の姿は、もう二度と見たくないほど不気味で醜怪な姿をしているに違いない。でもワンピースの中を想像せずには居られないし、何としてでもあの裸体をもう一度見たい。見たいというか見ざるを得ない、希わざるを得ない、愛さざるを得ない。そうしてわれわれはいつの間にか取り返しのつかない罪を犯し、一生目覚めることのない悪夢の輪を廻り続ける。リンチは頑張っていて偉い。髪型も面白い。

無職を救って下さい。