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ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』感想

『ラヴ・ストリームス』("LOVE STREAMS")は1984年にジョン・カサヴェテス(John Cassavetes, 1929-1989)により生み出された作品である。本作は、監督であるカサヴェテス本人が演じるロバート・ハーモンと、カサヴェテスの妻であるジーナ・ローランズ(Gena Rowlands, 1930-)演じるサラ・ローソンという姉弟を中心に展開される。
流行作家であるロバートは、ビヴァリー・ヒルズにある自宅に複数の若い女を雇い、まるでフェリーニの『8 1/2』でグイドが耽った妄想の中のような生活を送っている(但し、2階で彼と共に眠るのも若い女だが)。姉のサラは離婚が確定し、親権を得たはずの娘から「ママとは一緒に暮らしたくない」と拒絶され、愛する夫と娘を一度に失ってしまう。ある日、サラが前触れも無くロバートの住む家を訪れたことをきっかけに、二人の生活が始まる。

まず注目したいのが、サラが移動する際に持ち運ぶ大量の荷物である。精神病持ちの彼女は、夫と娘との離別が決まると、パニックを起こして倒れてしまう。そして、医者の勧めで療養のためにフランス旅行へ出掛ける。その時も、彼女は引越しでもするのかと見紛うほどの、文字通り抱えきれない量のトランクと紙袋を台車に載せて移動する。
映画のラスト、ロバート宅を出る際、彼女がクローゼットから何着ものドレスを取り出していることから、恐らくその殆どが洋服であることが想像出来る。彼女は自分が身に纏う物、つまり肌に触れるほど親密な物──それも夫と娘と過ごしていた頃からある物──を捨てられない。この「家族」というかつて存在した愛に対する強い思いは、ロバートに向かって発せられた彼女の次の言葉から端的に伺える。

「いいことがある あなたに赤ちゃんを買ってあげる 本気よ 生きていて 愛を注げる物が必要よ 小さな動物でいいの かわいがって一緒に寝て バランスを取るの それで私も また家族に執着できる」

彼女の情熱的な愛がエゴイスティックであるとは言い難い。しかし、彼女は誰かを愛す時、愛する他者との関係性の中に於いてのみしか自己をアイデンティファイ出来ない。「人々が認めるものから切り離されたアイデンティティ」は彼女の中には存在し得ないのだ。この大量の荷物は過去の愛のメタファーであると同時に、過去に対する執着のメタファーなのである。すなわち、彼女が辛うじてアイデンティティを保つ最後の拠り所でもある。
ロバート宅で倒れた際、彼女は彼女の荷物が置かれていない、普段とは違う部屋に寝かされる。すると、彼女はロバートと医者に対して、うわごとのように曖昧な口調で「私が誰か分からないの」と呟く。過去(の人々)と切り離されてしまったからである。

ロバート宅を去り、ケンという新しい恋人の家に向かう際、やはり彼女は荷物をすべて運ぼうとするのだが、ケンの車には入りきらない。「載らない」と言うケンに対し、サラは「じゃあ捨てて」と神妙な面持ちで言い、載らなかった分だけ、荷物を捨てる。彼女が安全で快適なロバート宅を去り、嵐の中に身を投じることを決心したのは大きな運動であり変化だが、過去のすべてを捨て切れたわけでは無いのだ。

上で引用した台詞のあと、サラは本当に動物──ポニー、ヤギ、ニワトリ、ヒヨコ、アヒル、犬──を買ってくる。動物たちはなかなか言うことを聞かず、すぐに彼らの家から逃げ出してしまう。
動物たちは一箇所に留まらず、(身体的にも精神的にも)絶えず移動し続けるサラの分身である。だからロバートは、嵐へと立ち向かい、彼らを家の中に必死で引きずり込むのだ──彼らが、愛するサラが、自分の元から居なくならないように。

動物たちの中で唯一名前が与えられたのが、醜い老犬のジムである。彼は初対面の人間には吠えるが、自分を褒めてくれる人間に対しては物静かで優しい態度を取る。それが気に入ってサラはジムをロバート宅に招くのだが、ロバートはジムを一言も褒めていないにも拘らず、彼には最初から最後まで一度も威嚇せず吠えることもしない。
そして、サラが「私が誰か分からないの」と言ったとき、ロバートは「待った 私は誰だ 弟か お母さん ジム 誰なんだ」と尋ねる。

このロバートの質問の意味をより理解するために、ロバートとサラの関係についてもう少し詳しく言及したい。彼らは姉弟であるが、頻繁に「愛している」と言ったりキスをし合ったり──彼が雇っていた若い女たちよりずっと頻繁に──している。このことから、彼らが近親相姦的関係にあると言いたいのでは無く、それを超えた、精神的な次元に於いての双子なのだということが想像出来るのではないだろうか。
彼らは登場人物としては別々の人間だが、異なる意味に於いては同一人物なのである。つまり、ロバートとサラはある個人の「共通した想像上の状況における選択肢」だと考えられる。彼らは両者ともに「家庭を築く」という点で失敗している。一方でサラは外へ外へと絶えず動き回り、他方でロバートは自宅に引き籠る。このように、彼らは常に対照的な態度を取ることで、「選択肢」としての機能を果たしている。

また、ロバートが特別の関心を寄せる女性には必ず子供が居る。秘書、一目惚れしたナイト・クラブのシンガーであるスーザン、スーザンの母親、そしてサラ。彼が求めているのは、母から向けられる愛、血縁者による愛なのである(アルビーの母親に関しては、ロバートがアルビーの父親である以上、母としての愛を受け取るのは不可能であるため、彼の言葉を借りるなら「手遅れ」なのである。アルビーを産んでしまった時点で)。
「愛は死んだ」と言って愛を諦めた彼は、自己の内側へと「退却」していく。よって母や姉といった、自分と血を分けた存在を傍に置きたがるのだ。

では、先ほどのロバートが発した問いに戻ろう。彼が姉に対して「私は誰だ」と尋ねるとき、それは自分に対して「私は誰だ」と尋ねるのとまったく同じ作用が働いている。そして、彼が自分と繋がりのある人物として挙げるのが、「お母さん」と「ジム」なのだ。彼が自宅に留めた者でその名前を呼んだのは、サラを除いてジムだけである(秘書はアルビーに紹介するとき以外、彼から「秘書」と呼ばれているし、スーザンは家に入れてもらえない)。
サラはジムを「誰かに似ている」と言うが、それはロバートなのではないだろうか。ラストで、ロバートはジムが人間になる幻覚を見る。ロバートは狂ったように、ほとんど死にそうな声で笑いながら、人間になったジムに「お前は誰だ」と問い掛ける。男は髭面で、肌が小麦色で、何も身につけていない。ロバートとは似ても似つかない。男はその質問には答えず、ただ不気味に微笑むだけである。「お前こそ誰なんだ」とでも言わんばかりに。サラに「私は誰だ」と尋ねたときと同じ作用がここでも働くのである。
彼がその問いを他者に向けない限り、問いに対する解答は永遠に得られない。サラは新たなアイデンティティを求めて嵐に身を投げ、新しい恋人と旅立つが、ロバートは自分が誰なのか分からないまま家の中に留まり続ける。

幻覚という点でいうと、サラも妄想に取り憑かれることがあったが、彼女のそれは、(物語に於ける)現実とは違う、妄想の世界への逃避であった。しかし、ロバートの場合は、現実の中で、幻覚という形でそれを見てしまっている。彼の家が、妄想の世界のメタファーとなっている。サラが「彼〔引用者注:ロバート〕は私より重症だわ」と言うのは、嘘でも何でも無い。

ロバートの「病」は徐々に重症化していく。彼の家を訪問する者は、必ず花を持参する。スーザンは一輪の白い花を、アルビーはブーケを、サラは大量の花々を。サラの持ち込んだ花々で飾られた部屋を見て、ロバートは「この花は何だ まるで通夜の後だ」と彼は言う。
冒頭のサラの台詞に戻ると、彼女は、病人や死人のところへ行くことが自分の仕事だ、と述べている。ロバートの家の訪問者は、彼の「病」を見舞っているのだ。そしてそれが、死人に手向けられる花となった。これは、最後のロバートの姿を暗示している。そこでロバートは、真っ黒いコートを身に纏い、サラに、カメラに、われわれ観客に向かって手を振り、暗いドアの後ろへ「退却」してしまう。愛という「絶えない流れ」を停めてしまったロバートは、棺桶と化した家で死ぬことを選んだのである。
 
カサヴェテスは言う──

やってもいないのにやってる振りをしてる人間には憎悪を感じる。つまり嘘をついていて、しかもわざとそうしている人間だ。ダレきって、ただ惰性で生きてるだけで、創造することや愛することから身を引いてしまった人間は大嫌いだ。そいつらの人生はからっぽで、そんなになっても何か行動を起こすことをまだ恐れてるんだ。そんな奴らはかわいそうだとも思わない。ただもう嫌いなんだ。

彼はこの作品を、自身のフィルモグラフィーの締め括りとし(『ビッグ・トラブル』は正確には彼の作品では無い)、5年後にこの世を去っている。『ラヴ・ストリームス』はいくつもの「終わり」を抱え込みながらも、彼の映画の特徴である「突然始まり、突然終わる」という手法を踏襲し、結論を出さぬままエンドロールが流れ始める。
『ラヴ・ストリームス』は現実のメタファーでも、どこかで存在していたであろう「想像上の」現実でも無い。朝起きて、歯を磨き、服に着替え、朝食を摂り、家を出て、電車に乗り、映画館に着き、『ラヴ・ストリームス』を観る。そのように連綿と続く生きられた現実の流れの中にあるのだ。この映画を観るということは、この映画を観るという体験を生きることに他ならない。われわれがロバートやサラについて語るとしたら、それは一つの思い出としてである。エンドロールが終わり、場内が明るくなっても、映画は「絶えない流れ」として永遠に続いているのだから。


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