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高野秀行『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』感想

丸山ゴンザレスさんと同じくクレイジージャーニーで知ったノンフィクションライターの高野秀行さん。早稲田大学の探検部に所属し、その頃からハードな旅にチャレンジし、同部では今でも伝説的人物だとか。ちなみに、丸山さんの憧れの人物の一人でもあり、裏社会ジャーニーにも出演している。

元々(?)は幻獣や珍獣を探したり、辺境の地域の文化を紹介したりといった内容の著作が中心だが、本著はこれまで高野さんが世界各地で食べてきた「辺境メシ」にスポットを当てた作品。
高野さんのことだから、さぞや物凄いゲテモノが登場するのだろうと予想はしていたが、冒頭のカラー写真から圧巻。コオロギが挟まったサンドウィッチ、大蛇のようにうねる真っ黄色の水牛の脊髄、任天堂の大人気ゲームMOTHERのどせいさんから愛嬌を奪いぬるぬるの魚にしたような謎の魚ペヘサポ、串に刺したモルモットの串焼き……。魚ですら顔があると「ウッ」となってしまう自分には(食べられるけどなるべく顔は見ないようにしている)血の気がさっと引くような食べ物ばかり。一方で、私は旅行する一番の理由は「食べること」であるという側面もあるので、否が応でも期待が膨らむ。

章はアフリカ、南アジア、東南アジア、日本、東アジア、中東・ヨーロッパ、南米に分けられる。まずアフリカだが、初っ端からゴリラ、サル、チンパンジーと類人猿料理が登場。ゴリラを捌くときは、さすがの高野さんも見た目があまりに人間に近く、目を背けてしまったという。サル料理の描写には頭がクラクラする。

いちばん最初、村の人たちがサルを獲ってきたとき、正直「げっ」と思った。サル料理はまず焚き火で毛を焼くところから始まる。毛がすっかり焼け落ちると、白い皮膚が露出する。このときサルは、大きさといい肌の色といい、人間の赤ん坊か幼児にそっくりなのだ。

ちいかわのような「ァ……ヮ……」という言葉しか出て来ない。なるべく想像しないように努める。その節にはサルの脳味噌を燻製にした写真が載っているのだが、どう見ても映画や漫画で見たような焼きただれた人間の顔にしか見えない。電子書籍で読んだので画像が小さいし、白黒なので「目の錯覚かな」と思うことにしたが、続く文章で「燻製になったサルは歯を剥き出し、仏教絵画で描かれる『餓鬼』そっくりの凄まじい表情をしている」とあったので、錯覚では無かった。
グロテスクだと感じるのは確かだが、残酷だとは思わない。ゴリラ猟は近年まで銃を使わず、槍を使って行われていたそうだ。一発で仕留められなければ、ゴリラに逆襲され、命を落とす狩人も少なくなかった。命懸けの狩りは、草食動物を必死に狙うライオンやチーターを想わせる。機械を用いず命を賭して狩りをする生活が今でも続いていれば、当然飢えることもあり、「他の動物を殺して食べるなんて野蛮だ」といった一部の動物愛護団体や先進国のベジタリアン等に見られる思想は生まれなかっただろう。畜産物や養殖の魚介類を食べる私たちのほうが余程野蛮で、彼らのほうが生き物として寧ろ誇り高いとさえ感じる。

本著には、「みんなが長い時間をかけて作る」料理が多数紹介される。高野さんはこれを「コミュニティ料理」と名付けている。日本料理でいえば、餅つきなんかがそれに該当するだろうか?杵と臼を使い、呼吸を合わせ、周囲は掛け声を上げながら時間と体力を使い、餅をつく。餅が正月というハレの日に食べられるように、他国の「コミュニティ料理」もハレの日や誰かを送り出す際に作ることが多いのも印象的だった。
似ているもので面白かったのが、ミャンマーの少数民族ワ族の「プライコー」という酒の飲み方。こちらも冠婚葬祭のときに飲まれるもので、二人一組になり、一つの盃を二人で掴み、決まった手順を踏んで交互に飲み合うというもの。意味合いは違うだろうが、日本でも神前式での三々九度の儀があるが、元々は式三献という酒宴の儀式の一つだった。ヤクザには自分が飲んだ盃を交換することで、義兄弟の契りを交わすなんて風習もある(今もあるのかは知らないが)。同じものを食べる、飲むといった行為の持つ儀礼性は同じアジア圏の者として共感出来る。

昆虫食はアフリカ、アジアの各国で何度か登場するが、決まって姿煮/揚げ/焼きなのは何故なのだろう……。ジャンキーあるあるなのかも知れないが、未知のものを食べてみたいという欲求は私も強い。一時期コオロギ食が話題になっていたが、昆虫食自体には興味がある。セルフ人体実験が大好きなのだ。私は、この性質は絶叫マシンが好きな人と同じだと思っている(どうでもいいが絶叫マシンは乗れない。タナトス過ぎるでしょ、あれは)。しかし、先述の通り、大好きな秋刀魚ですら丸焼きにされた姿を見ると「死体」という単語が脳をよぎる。実家で一度、クリスマスにローストチキンが食卓に並んだことがあったが、ジューシーな香りが漂っているにも拘わらず、ほとんど食欲が失せてしまった。
虫は食べ物だという認識が無い上に、「気持ち悪い」「汚い」という偏見が刷り込まれてしまっているので(昔は、カブトムシやクワガタを飼育したり、カマキリやバッタを捕まえて遊ぶような子供だったのに!)、生きている姿そのままは正直キツい。とはいえ、魚と違って虫は小さいので切り身にするのは難しそう。粉末状になっていれば間違いなく食べられると思う。
ちなみに、私が食べたことのある珍味は、カエル、牛か豚の子宮と睾丸くらい。カエルは、ごく普通の焼き鳥屋のメニューにあった。くの字に曲がった足の形をしており、周りは「うげー」とドン引きしていたが、こんがりきつね色に焼かれているのもあってか、まったく抵抗感無く食べられた。よく言われている通り、鶏肉にそっくりで美味しかった。子宮と睾丸は、板橋に住んでいた頃、近くにある有名なホルモン焼き屋の「山源」で食べた。まあ、これも焼いて焼肉のタレをつけて食べるから、なんてことは無い。味は覚えていないが、そのくらい至って普通のホルモン焼きだった。

本著には他にも様々なゲテモノや珍味が登場するが、高野さんは食材に対する偏見が無く、純粋に「料理として美味しいか」を楽しんでいるところがいい。『キッチン・コンフィデンシャル』と並行して読んでいたのだが、やはり食欲をそそられて仕方なかった。コロナ禍のただなかだったこともあるだろうが、国内でも「辺境メシ」にチャレンジしているところも面白くて真似したくなった。近所にアジアかアフリカ料理の店が無いか探してみようと思う。

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