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一票がなぜ軽くて、なぜ重いのかわかったよって話。

昨日、一日中政治家のお手伝いをしてきた。

特に支持政党や支持している人がいるわけではないのだけれど、昨日お手伝いしてきたのは政治とは関係のないところで出会った若い政治家の人で、人として魅力的だったので行ってきた。

何を学んだかは後でちゃんと書き記そうと思うのだけど、とりあえず、一票の重みを感じたよってことを共有しておく。

僕らが入れる一票の感覚は「自分の一票くらいじゃ変わらないっしょ」くらいのものかもしれない。

でも彼らの感じる一票の感覚は「毎日街頭で演説したり、学校や企業を一つ一つ足で回って朝から晩まで話尽くした中で出会った、子どもを2人抱えて毎日朝お弁当を作り昼はパートで働いて夜早めに帰ってきて夕飯を作ったり明日の洗濯の用意をしたりしながら、来月の生活費をどうやりくりしようか考えているお母さんの一票」というものなんじゃないかと。
要は、まとめがたいけどまとめると、1人の命と意思ある人間の考えや想いを出来る限り自分に引き寄せて、ある閾値を超えさせられた時に初めて得られるのが、彼らのいう一票なんじゃないか、と思った、ということ。

何も考えずに投票する人はいるし、カッコいいから可愛いから知っているからで投票する人もいる。それも民主主義だから仕方ない部分はあるけれど、だからといって自分の一票を、それを打ち消すための軽い票だとか思わない方がいいと思う。

自分の一票が軽く感じられるのは入れる側の問題だけじゃなくて、入れられた側の政治家の(全員ではないことも、常にではないことも承知しているが)やる気のなさや考えの甘さ、権威への甘えや勘違いだったり、そもそもまともに入れたい人がいないという状態にも原因があると思う。でもこれもさっきの話と同じで、だからって「命を燃やして生きている、自分の意志を表明する一票」を軽く思わない方がいい。

そんなこんなで、1日本気で政治に向き合ってる人と時間を過ごしたら、政治家も投票者も政治や選挙を雑に扱ってんじゃねーよってちゃんと思えたよって(普段はそこまで感覚に肉薄して言えないけど、今回は言えたよって)共有です。

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