有名人の訃報と「あること」を結び付けた話の違和感
統計学をExcelで教えている米谷 学(よねや まなぶ)です。
企業研修、通信講座などで、意思決定のためにデータを使いましょう、数字を使いましょう、という主旨で教えています(↓作りかけのWebサイト)。
さてX(Twitter)などでは、かなり違和感を覚えるものがあります。
そこで改めて「有名人 訃報 多い」で検索したところ、出てくるわ出てくるわ。
(若くして)ミュージシャン・歌謡界で有名人が亡くなるのには、「ワクチンのせい(ワクチンという原因が伏せられて報じられている)」「コロナのせい(コロナという原因が伏せられて報じられている」をはじめとする、あたかも特定の死因を疑う投稿、また不安視する投稿も2~3ではないレベルで散見されます。
ここでわたくしが普段研修など講座で申し上げていることがあります。
それは情報に接したときに、次の3つを明らかにすることです。
確実に言えることは何か?
わかっていることは何か?確実には言えないことは何か?
わからないことは何か?確実には言えないことやわからないことを埋める(明らかにする)ためには、どういう情報が必要か?
そうなると、特定の原因を「心の中で疑う」までは良いのですが、「不安視する傾向にあるアカウントをフォローしている」などの特徴があると、こうした原因を疑う・不安視しているなどの投稿がより目につき、更に不安が重なってくるかもしれません。
そもそもわたくしが考える「疑うポイント」は、次のとおりです。
有名な人は、いつの時代でも総じて高齢になっていく
X(Twitter)のタイムラインに入ってくるユーザーの年代は、ここで採り上げられる有名人に思い入れがある人が多い
そもそも無名な人はニュースバリューは小さい
さいごに
もちろん心情的には50代~70代は「まだまだお若いのに」と惜しむばかりの気持ちがとても大きいものです。
また「今年は訃報が多い気がする」の「今年は多い」はイメージだったり想像だったりするので、数字が出ているなら数えて比較する
ここから始まります。
数字による比較がされていないうちは、あくまでも「この人のイメージなんだなぁ」または「想像なんだなぁ」と判断保留として受け取るという姿勢も、必要以上に振り回されずに済むのだと考えています。
「判断保留とする」とは、「無いことを証明する」わけではありません。
あくまでも判断を保留するだけです。
お悔やみ申し上げます。
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