ショートショート「決めずの刃」 

GHQ、日本では連合国軍総司令部と訳される米軍の組織は、戦後すぐに日本人を武装解除する方針を立て、軍刀や室町時代以来の刀を回収した。GHQに回収された刀剣の保管場所は東京都の赤羽にあったことから、こうした刀剣は赤羽刀と総称される。
昭和20年9月29日には「善意の日本人が所有する骨董的価値のある刀剣類は、審査の上で日本人に保管を許す」との覚書がGHQより日本政府に出された。
しかし、この覚書の前には既に日本各地から刀が回収されており、中には名刀も含まれていた。<君津の刃>と言われる一振りもその中にあった。
この一振りは、室町時代初期に名工と謳われた宗悦が打ったもので、現在では国宝級と考えられている。戦国期には北条氏政が愛でていたと言われ、秀吉からの上洛要求に対し、決断を誤った氏政が切腹に使った脇差と揃いということで、この太刀にも腹切りの別称がある。
 赤羽刀の中でも名刀中の名刀とされるこの一振りは、マッカーサーが日本占領の記念にと持ち出したもので、公然の秘密ではあるが、機密事項となっていた。従って、この頃、日本政府や専門家がこの<機密の刃>の返還を求めはしたが、「ないものはない」の一点張りで、戻ってくることはなかった。
 数年経って、マッカーサーが離任し、米国に戻ってからのことである。マッカーサーは大きな決断をする前に、葉巻を吹かしながら、少年時代に父親から貰った拳銃を眺めて思案することを習慣としてきた。しかし、この時は違った。自らに大いに名誉をもたらした日本での仕事を終えた証となるこの名刀を眺めながら、マッカーサーは大統領選に立候補する決意を固めたのである。
このことが、彼にとっては転落の始まりだった。
大統領選に惨敗した彼は、名誉をすべて失ったかに思えた。しかし、そこに憔悴した彼を救うかに見えた機会が訪れた。朝鮮戦争の勃発である。彼は国連軍の総司令に選ばれ、朝鮮軍を押し返した。そして、彼は再び名刀を前にして、大きな決断を下した。翌日、彼は鴨緑江を越えて、できたばかりの共産主義国家 中国まで攻め入るぞと宣言したのである。結果、中国の本格的な参戦を招き、朝鮮戦争は膠着状態となった。無能と痛罵された彼は解雇された。
名刀を前にした二度の決断は、すべて失敗に帰結した。この名刀が<自滅の刃>と言われる由縁である。
 鞘は刀に合わせて作られる。従って、長さ、厚さ、反りが異なる鞘に収まることはない。氏政もマッカーサーも君津の刃を納めるような鞘、つまり器の人物ではなかったということがわかる。
適切な決断をできない人物は、この刀に合わない鞘ということである。そんな鞘は、<決めずの刃>ということこそ心がけるべきである。
 昭和21年6月3日、勅令第300号銃砲等所持禁止令が発布されたことで、名刀をはじめとした8万本が、所有者の手に戻った。この七年後、君津の刃も君津に戻ったが、あまりに縁起が悪い刀であるからか、所有者として名乗り出るものはなかった。この刀は暫くは千葉県の博物館で保管されていたが、いつの頃か消え失せ、いまだにその所在は杳として知れない。



解題
君津の刃 そんな刀はありゃしません。
赤羽刀というのは本当にあったことです。マッカーサーが大統領選挙に立候補したことなど、名刀を除く記述は歴史的な事実です。
宗悦 だれ? 戦国期に存在していそうな名前ではありますね。
さすがに<緻密な饗庭>/ちみつなあいば、<清水の八尾婆>しみずのやおばあ、 <気むずの矢井部>きむずのやいべ、ドラキュラっぽい<秘密の八重歯>などは 思いついたけど、物語が明後日の方向にいきそうなので、書くのはよしときました。

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