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風呂編

風呂が好きだ。風呂は良い。風呂に入れば身体や髪の毛は清潔感ある爽やかな香りに包まれるし肌はすべすべする。汗でベタベタなんて最悪だ。許されるのなら朝昼晩晩の4回入りたい。

銭湯も好きだ。銭湯の風呂は広いし種類もあるしサウナもある。最高だ。

ただ、ここ5年くらい銭湯を取り巻く環境は大きく変わってしまった。30年以上愛してきた銭湯はどこに向かうのか。



昨今のサウナブームに乗ってか乗らずか、コロナ禍で融資が緩いのか緩くないのか。都内は大型リニューアルを施す銭湯が本当に増えてきた。そん中こんなニュースが流れてきた。

私の銭湯初体験、幼稚園(保育園だっけ)時代に通っていたえごた湯がリニューアルをしたようだ。

今はけっこう新しいマンションが建ったりしているが近隣は限界団地(現存していた)や限界アパート(こっちもまだあった)が多いところ。私も限界アパートに産まれ育ったので近所の子供達とまとめてよく放り込まれていた。脱衣所を出た所にはアイスやゲーム機があり毎度発狂していたのをよく覚えている。

パナップをよく食べていた



家庭の事情で東京中野区練馬区板橋区豊島区を転々としていた。今も変わらないがこの辺は都内でも屈指の銭湯に恵まれているエリアだと思う。

少年時代の私は時に親戚達と、時には幼馴染達と一緒にしょっちゅう銭湯に放り込まれていた。祖父母の家に預けられていた時期などもあるが風呂無し限界戸建だったりしたせいで毎日銭湯に行く。もうこの頃になると風呂に入る時間=銭湯になっていた。

少年時代から今も通ういくつかの銭湯。
たまに親父にでくわしたり幼馴染にでくわしたりする。
画像は拾いものです





声変わりが始まる頃、家庭の事情で銭湯に恵まれない地域で暮らす事になった。両親に何かをねだる事は殆ど無かったが湯船に入れないのは困ると訴えて買ってもらったのはこれだ。

昔はCMもけっこう流れていた
(まだあるんだ)

掃除とかも頑張った。学校行く前、帰宅後、寝る前と1日中湯船に入ってたような気がする。この頃からリセットされる感覚がクセになってきた。しずかちゃんもこんな気持ちなんだろう。



大人になる一歩手前、幼馴染達はそれぞれ人生の帰路に立つ。高校、大学に進学するやつ、フリーターを満喫するやつ、就職するやつ、悪さばかりして何もしないやつ。今までは何をするにも一緒だった幼馴染達と離れそれぞれ別のコミュニティをメインに暮らしていくのか。そんな未来がよぎった私達は週に1回必ず集まる事にした。銭湯で。


弘の湯(廃業)


抱えている悩みや将来の夢、貸切の銭湯で愛と希望を語り明かした。銭湯には若者の全てがあった。貸切と記したが00年代初頭、郊外ではスーパー銭湯ブームが起こり普通の銭湯に客がいる事なんて殆ど無かったのだ。早い時間は地元の高齢者が何人かって言うくらいで夜になれば寂しいもんだった。サウナに入り始めたのもこの頃だ。





18歳になった。家庭の事情で転々と暮らす事に嫌気がさした私は幼馴染達と離れ都内で一人暮らしを始める。徒歩3分もしない所に銭湯がある1ルームマンションを選んだ。人生は上々かに思えた。

新越泉(今もたまに行く)

しかしここで厳しい現実にぶつかる。都心の銭湯でサウナに入るには別料金を払わなければならず1日に千円近い出費が確定してしまう。仕送り等もなく生活費の全てを捻出しなければならない一人暮らし初心者にはかなり大きな出費で毎日行くわけにはいかず途方にくれた。

それでも週に何度かは上京してきた友人達を連れて都内の銭湯を回った。今思うといわゆる元祖ドラクエ客だ。しかし都内の銭湯、どこも景気が悪く今では考えられないと思うが本当に週末だろうがなんだろうがガラガラだったので仲間を連れていく事で銭湯が盛り上がるんじゃないかと本気で思っていた。

ちょっとはしゃいでても古参の爺さん達もウェルカムな感じで良いグルーヴが生まれていたように思う。こんな暮らしが5.6年続いた。


大人になった私は何を思ったのか働いていた先を辞め少ない資金を元に独立起業をしてしまった

飲食店の仕事は当然だが終わるのが遅くなかなか銭湯に行けない日が続いた。それでも今は仕方ないと言い聞かせて会社を軌道に乗せる事で精一杯だった(殆ど資金繰り)

その過程で私は住所を失い店で寝泊まりをする生活を余儀なくされる。厳しい生活に思われるが営業が終盤に差し掛かるとスタッフに店を任せて銭湯に通う毎日を再開。たいへんに快適だった。家は失ったが清潔感を失うわけにはいかなかったのだ。


何度かのリニューアルを繰り返した光明泉


今もホームの文化浴泉

この頃、自分が経営の真似事をしていたのもあってかようやく銭湯の経営や仕組みについて考える事が増えた。来客数を数えたりコインランドリーの売上を考えたり地代、税金、改修費、諸々。都心一等地はともかく少し離れた所にある銭湯がどんどん畳み始めた頃だ(だいたいはマンションになっていった。そりゃそうだ)

あれ、これヤバくない?東京から銭湯が無くなっちゃうんじゃないの。そんな事を思う機会も増えた。

やがて仕事がなんとか軌道に乗り始めた。閉店間際に駆け込んでいた生活からスタッフが出勤してきたら家(店)を追い出され開店したばかりの銭湯に向かう生活に変化した。企業でいえば新卒が第二営業部主任になるくらい大出世だ。


そんな生活を続けていた頃バラエティ番組で銭湯芸人なるものが企画された。たぶん10年前くらいだったと思う。この時は、お、これで銭湯盛り上がってくるんじゃないの?と喜んでいた気がする。


つづくかも

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