ろーどー

熱はとっくに治ったのだが、ぐったり寝込んでいた反動で憔悴気味の身体とアタマ。おまけにタンが切っても切っても出てくる(結構長い期間かけて慢性的な咽頭炎の不調治したのに、また長期戦かも)
シュタイナーのやり方に嵌り込んでいたのに、熱で余力ゼロに戻って中断し、取り組む力も皆無に。(軽ーくブレインフォグ的状態)まぁ必要な変化や中断だろう。
久々に「主だ、」という人の子の栄光にイメージと共に浸った。
福音書を読まないと、かなり我流の信仰辺境に追い込まれる、ということを思う。特に言葉を知っていても実行する気がないとか、慣れ切ってほぼ忘れて思うだけとか。あんなにも実行を促していたのに。
(強制ではないのに注意を促していたことども)
若干キリストを神として感じることによる人間の栄光のようなものに、つま先を踏み込みそうな感覚になった。(キリストを〈神として〉受け入れるのか?と問われると、まだ良く分からない。どちらにも傾き倒れそうなのが実情。聖霊的なものを最高度に受けた、選ばれたヒトなのか、それとも)
(神だったら神ならばで、言葉の数々の受け取り方を相当変えねばならない。)(神を見た者は死なねばならない ような畏怖をもって言葉を受けてねばならないはずだ)(が、こういう性向があるところが自分の危険や度が過ぎるところだ)

が、身近な人間に吊るし上げられるような心象で心が冷え切った。(彼等にそのような意図はないが、状況すべてが敵のような状態だ)

人の子の栄光のような部分と、これこそ真に自分自身だと言いたくもなるような心の冷えた自分の二つを感じる。こういう冷えは容易に光と栄光を閉ざす。

要は罪だが、それでも!!
「わたしは世に勝っている」がそれでも温かさをもたらして下さいましたとさ。



わ〜い!😄