「評伝オーロビンド」

けれども一体なぜ、この絶対にして完全なブラフマンがわざわざ自分から、一見して不完全な相対的世界に身を投じなければならなかったのだろうか。そこでは、ブラフマンはばらばらになってて、虚構と苦痛と悪とを経験しなければならないというのに。オーロビンドはそれに答えて、ブラフマンが非完全性をすすんで受け入れたのは、「ひとえに歓びのためである」と書いている。アーナンダ、存在の本質的歓びが、ブラフマンの「永遠不変の本分」であり、「さまざまな歌からなる ハーモニー、甘美というよりはむしろ単調なメロディーが、ブラフマンの音楽のメッセージである。」
ブラフマンは「より低い音をも」、それらに「より深く繊細な趣を」与えるために受け入れる。別の言い方をすれば、ブラフマンは「冒険の歓びのために」形態のなかに降下してくるのだ。けれどもこの「遊戯」(リーラ、つまり神の戯れ)は、おもしろ半分になされるわけではなく、「内に成就すべき目的を秘めているのである」。その目的とは、「崇高でスピリチュアルな創造を行うことによって、存在が物質界のなかで自らをあますところなく具現化するまで、究極の実在に備わる大いなる力能の数々を明示し続けること」である。これは、「進化の目的論」である。

わ〜い!😄