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アリス・ベイリー「グラマー」

今日、世界はイリュージョンに満ちており、その多くは理想主義のベールで包まれている。 それは 願望に満ちた思考と計画に満ちているが、その多くが、たとえ正しく方向づけられ、世界の全人口の ためのより良い生活条件を創造しようという知識人の確固とした決意を言い表わしていたとしても、 次のような疑問が持ち上がる。 
この願望に満ちた思考の総和には、物質界で実際に表現されたときに 人間の必要を本当に満たす本質的でダイナミックな活力が十分にあるかという疑問が。 現代史の範囲内でこれまでに地上に訪れた二人の最も偉大な啓示者(ブッダとキリストのはず)が次のような簡潔な啓示を人類にもたらしたことを私は指摘したい。

1.人間のすべての苦悩の原因は欲求と個人的な利己性である。 欲求を捨てなさい。 そうすれば、あなたは自由になるであろう。

2.解放の道が存在し、それがイルミネーションへと導く。

3.全世界を手に入れても魂を失うならば、それは人間に何の利益ももたらさない。 

4.すべての人間は神の子である。

5.解放の道が存在し、それは愛と犠牲の道である。

(アリス・ベイリーまで買うと、オカルトに突っ込みすぎかな。3冊も買ってしまった。)

過去の啓示の多くは宗教的な刺激の線に沿って訪れた。そして、やがてイリュージョンが深まり増大するにつれて、最初の(その啓示者が伝えたような) 素朴さは失われていった。
根本的な啓示はすべて、極めて素朴な形で提示される。付着物が次々と忍び寄り、人々のマインドが自らのメンタル的 な論文を通して教えを複雑なものにし、やがて例えば私たちがキリスト教会とか仏教体系とか呼ぶ偉 大な理論体系が築き上げられたのである。
これらの創始者たちがそれを見たならば、彼らが啓示し強しようと努めた二、三の根本的な聖なる事実つまり真理を認識するのに非常なる困難を覚えるであろう

 キリストと仏陀の素朴な宣言の上に被せられたイリュージョンのマントはそれほど大きい。 正統派の教会の広大な大観堂や仰々しい儀式は、 大師方の中の大師であり天使と人間両方の教師であるキリストの慎ましい生涯からは遙かにかけ離れており、霊的実現の素朴な方法へと彼の民が帰ってくるのを見守りながら待ち望む彼の現在の生活方法の素朴さからも遙かにかけ離れている。 



今日、西洋において人々が口にする 「カトリック教会の世俗的な権力」というイリュージョンは非常に大きい。 プロテスタント教会は対立する派閥へと分断されており、クリスチャン・サイエンス教会は金銭を蓄積する能力とその信奉者たちにそうするよう教え、そして一時的な健康の達成を教える能力で知られており、ギリシャ正教は完全に堕落しており(そうなんだ?)、無教養な人々や貧しい人々の素朴な信仰だけが真理の何らかの姿をその当初の素朴な形で保っている。
彼らには声高らかに神学議論をする能力はないが、神が愛でありただそれだけである、平和と光へと導く道が存在し、 もし彼ら自身の物質的な欲求を自制するならば、神を喜ばせることになると信じている。

私は広く一般論を述べ ている。 我が兄弟よ。 なぜなら、神学体系の中にも賢明で善良なキリスト教徒と聖職者がいることを 知っているからである。しかし、これらの人は自らの時間を神学議論にではなく、同胞を愛することに使う。 彼らがそうするのは、彼らがキリストを愛し、キリストを代表とするすべてのものを愛して いるからである。彼らは石と大理石で大きな教会を建てたり、支持を得るのに必要な金銭を集めたり することには興味はなく、彼らの関心事は内界の霊的界層において真の教会を形成する人々を集めて、 人々が光の中を歩くのを手助けすることである。


したがって、世界の熱誠家であり弟子である) あなた方の前に差し出す提案は明確な世界奉仕の可能性である。 グループは結局のところ、グラマーを個人生活において消散させつつあり、自分自身の解放のためよりも、アストラル界から重大なグラマーを除去するという特別な目的をもってそのよ うにしている人々によって形成されるであろう。彼らは個人の啓発されたマインドの力によって世界 グラマーのある重大な局面に一致団結して取り組むであろう。 一緒に、彼らは「マインドのサーチライトを向け 太陽の光を反射すると同時にマインドそのものの内的な光を地上の霞と霧に放つであろ う。なぜなら、この霞と霧の中をすべての人がさまよっているからである。 そして、集中した輝く光 に照らされた領域にリアリティーは意気揚々と出現するであろう」。

わ〜い!😄