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暗闇の足音が聞こえる

私は、2006年から二年ほど香港に住んでいた。当時の香港は活気があり、中国由来の雑然としたダイナミックさと、旧宗主であったイギリスの気高い雰囲気のミックスされた独特の雰囲気があった。香港市内のジャズライブハウスでは、本当の英語の発音で歌う香港人女性シンガーが、実にいい雰囲気を出していたものだ。

しかし、昨今の香港は北京中央政府の監視や行政管理が日に日に高まっていることだろう。この世界の「自由の光」は、確かに狭まってきていることを、遠くにいても感じることができる。

翻ってこれからの日本はどうなるのだろうか?

戦後の憲法による、言論の自由、信教の自由。基本的人権。

それらは、かろうじて、理念上または、体裁上守られてきたのがこれまでの日本である。しかし、全世界の潮流として、自由主義社会であれ、社会主義社会であれ、いずれにしても、影の世界政府の管理の下にあることは明白だ。つまり、21世紀の香港のように、林立する監視カメラと「見えない世界政府」の言いなりになるしかない各国の行政機構という図式が、東西の政治体制を超えて、すでに実現している。

ネット上のSNSにある言論の自由など、そもそも虚構であり、AIによって記録され、AIによって仕分けされ、人工的なグループ内で閲覧している「グループ交換日記」でしかないわけだ。

だから、今の私には、ヨハネの福音書12章にある、イエスの言葉はとても響く。

35そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。 36光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。(ヨハネの福音書12章35節~36節)

今、現在、今日という日にある「光」は、信仰なしには見ることがない。ゆえに、世界は見せかけの「栄華」を演じている、敵である悪魔によって、覆われる時代となるだろう。それは、今の政治と経済、世界の機構の状態を見るなら明白だ。今の人々が、経済力という「マモンの霊」に縛られているので、金銭の言いなりにならない人間など、いないのが現実である。

だが、少数派たることを恐れてはならない。

そして、伝えるべきは、完全無償のイエスの福音である。

これからの時代が暗闇になる目的は、敵である悪魔を引きずり出し、滅ぼすという、神のプラットフォーム上の予定の出来事にある。そして、最後には、生ける、神の御子であるキリストの再臨によって、この世界は、本当の意味で刷新されるのである。

「聞く耳のある者は聞くがよい。」と神は常に語っている。

目の前の情熱的で饒舌な政治家や宗教家の美辞麗句は、これからの暗闇世界へのプレリュードである。この時代、政治家たちが、自分の利益や権益を求めることなく、公僕として高い志を行うなどと信じる、幸せ者は、ある意味「幸い」である。

「今ある本当の光を大切にしよう。」と、私は問う。

「光とは何か?」と、私は問う。

「永遠に消えることのない光に「安息」しよう。」と、私は言う。

かつて世界を襲った大洪水という、崩壊を前にしたノアの名の意味は「安息=REST」であった。そして、ノアの箱舟とは、生ける神の御子キリストの予表であった。

来るべき破壊の前に、イエスの十字架の言葉を、人生の最優先とする時が来たのだ。

皆様に神の御守りと祝福あるように。

イエスの限りない愛にありて。

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44イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、 45また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。 46わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。 47たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。 48わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。 49わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。 50わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。(ヨハネ12:44~50)

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