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僕が光栄のSLG(水滸伝)から学んだこと

はじめに

twitterなどのSNS、マスメディアの報道を見る限り、日本は国民の安全と命が失われる状況が、静かに進行している。政府は感染症の専門家の提言を無視し、自分たちの支持層の利益のために東京五輪を強行。ワクチン接種状況も最悪のまま、感染力が強く、毒性の強いCOVID-19のデルタ株の感染が拡大し、いつ急変してもおかしくない中等症の人々に対しても自宅療養の方針を伝えるという、「棄民政策」を行いはじめた(流石に批判が多かったためか、撤回したものの、言った事実は変わらない)。その結果、医療が受けられないで自宅療養の人たちが全国各地に数多くいる状況になっている。

現政権は、前政権を継承し、様々な手続きを飛ばし、彼らのいうところの「丁寧な説明」のもと自分たちファーストの政策を執り行っている。実際、デルタ株に対して不勉強で自分たちの利益のみで動き、ろくな補償もせずに、脅しだけでこの困難を乗り切ろうという考えで、自助でなんとかしろという考えである。例えば開催までに様々なゴタゴタがあった東京五輪を見ていても、SDGsからは程遠い、リソースや税金の無駄遣いを行っている。

さらにこの状況を悲惨なものにしているのは、政府によるメディアコントロールである。以前は独立したメディアが踏ん張っていたものの、政権に取り込まれていき、現在に至っている(情けないことに、週刊文春などの週刊誌にスクープを取られるありさまである)。その結果、自分たちの信念のもとで人々は連帯もせずに、完全に分断してしまっている。これは前回のエントリーでも書いたように、腐敗に対する冷笑的な態度、無関心さが残念ながら進行している、そしてもう諦念に違い状況にあるからだと思われる。このような腐敗均衡に陥っている状況を変えるためには、どうすればよいのか考えなければならない。

現政権はナチスなどのやりかた(麻生副首相が講演で述べているが)を学び、プロバガンダ政策、メディアコントロールを徹底している。そのため不都合な話題については隠蔽されている。殊更、自分たちの利益に関わり、国民生活に重大な影響をもたらすと思われる法案については、議会制民主主義を忘れたかのように、野党の議論も無視し、数の力で自分たちの都合のよい政策をどんどん行っている有様である。そしてその裏では、我々の税金が無駄に使われている。これはまさに腐敗である。そのため、限られた資源を有効活用するためには、腐敗した政府機能を、正常化していくしかない。民主主義のもとでは、我々は選挙によって成すことができる。しかし投票率が低ければ、現政権が有利なままである。だからこそ、腐敗の問題は自分事として捉える必要がある。腐敗は、我々の社会を分断し、腐敗の下で別のシステム(上級国民という言葉が出てきた段階ですでにおかしいのだが)が生んでいるという認識を持つべきである。

よって我々は腐敗に対して寛容であってはならず、どんな場合でも是認できないという態度が求められる。そうでなければ、我々が日々の労働から稼いだ税金は権力者たちによって、無駄に使われていくことになる。そのことを学ぶのに最適なヒントは、腐敗に苦しめられた歴史を持つ中国にあるだろう。

歴史から学ぶことの大切さ

歴史から学ぶことの大切さについて学んだのは、小学生時代に夢中になって読んだ横山光輝氏の漫画<三国志>や<水滸伝>などの中国の歴史や古典からである。中国の歴史は大変興味深く、大抵世が乱れるときには、天命を失う。天は、無道の君主から天子たるべき命を取り上げ、新しい王朝に命を降す。その繰り返しが中国4000年の歴史を作り上げてきたとされる。そのため、良い統治とは何かを考えるきっかけになり、現在に至っている。

横山光輝氏の漫画の影響を受け、その後パソコンゲームをやり始めた。その体験を含めて以下、権力がなぜ腐敗するのか、そして権力が腐敗したら、我々はどう対処すればいいのかを、水滸伝という光栄から出た歴史シミュレーションゲームを紹介しながら考えてみたい。

水滸伝・天命の誓い

「水滸伝・天命の誓い」という光栄から発売された歴史シミュレーションゲームがある。このゲームは、中国の大衆小説「水滸伝」に登場する梁山泊の主要メンバーから選択し、最終的に北宋を食い物にする奸臣高俅を金が北宋に侵入する1127年までに討伐するというのが目的である。無頼漢の英雄たちであるプレイヤーは基本、空白地にねぐらを構えて、府州を統治する。統治国の住民の「共鳴」を上げるなどの内政を行い、金や食料を政府のように調達する。そして国力・軍事力が整えば別の空白地を支配下におき、他の好漢の領土や高俅の支配地域を攻めて領土拡大を行う。ところが皇帝から高俅討伐の勅命を受けるためには、好漢としての「人気」を高めていかなければならない。

「水滸伝・天命の誓い」、どれだけやりこんだかわからない。様々な無頼漢を選択し、多様な戦略で遊べるゲームに僕は魅了された。国を富ますためには地道に内政を行い、兵士の訓練をして、良い人材を獲得する。強い人材がたくさんおり、豊かな府州を支配下に置く高俅との闘いには兵士を訓練し、武装度をあげ、装備を整えなければならない。もしそれを怠ると、高俅が「攻められたくなければ、賄賂をよこせ」と脅しをかけてくる。自分たちが弱く、賄賂が支払えないと、彼らは領土に攻めてくるのだ。こうして高俅を討伐する、という目的のために富国強兵に励むことになる。僕はそんなわけで光栄ほかの戦略SLGから、富国強兵の王道ともいうべき基本を学んできた。つまり、支配者は民の支持を得られなければ、国の基礎をつくることができない。このシンプルな事実について、ゲームから僕らは「腐敗」の本質について学ぶことができたのだ。ありがとう、シブザワ・コウ先生。

国を亡ぼすには逆なことをすればいい。私利私欲しか考えない能力の低い人材を雇い、定めていたルールを改ざんし、自分の都合の良い形で解釈し、国民からお金を厳しく取り立てればよい。人々の共鳴度は下がり、支配地からは収入が得られなくなる。そうすれば、人気を失い、下野するしかない(つまりゲームの目的は達成できない)。富国強兵の王道ともいうべき基本を腐敗した政権ではそのような摂理が成立しない。つまり、プレイヤーの立場から考えてみれば、正統的にゲームをクリアするためには、何が必要なのかよくわかる。大きなゲーム目的(高俅を討伐する)達成するためには、支配地の共鳴度を高め、優秀な人材を得ていく必要がある。

腐ったリンゴ化した日本社会

ここ数年の日本社会の現状は、国力沈下していく成熟国の状況である。基礎研究に向けられるお金も削られ、人権問題もおざなりで、周辺国の成功も学ばない。日本スゴイの夜郎自大状態になっている。その当たり前のことができない状況が今の日本であるといえよう。その背景にはやはり、人々の相互の信頼が失われ、分断が進行し、現在の法制度以外に見えない何かがルール化されている現状であるだろう。つまり社会が腐ったリンゴ化していることが問題である。社会が腐ったリンゴ状態とは、外見は立派なリンゴだけれども、中身が腐っているので人々は悲惨な状況にあるのを知らないまま、物事が進行しているということである。こうなると人々は、腐敗の環境を当たり前と受け入れていく状態になることである。腐ったリンゴ状態、社会のルールとして、人々が腐敗をしないと損をしてしまうという状況になると悲惨である。こうなってくると、内部からの変更はなかなか難しくなる。

すると政府の「天命」を変えるためには、何らかの外部的な力がないと変えることができない(なお「水滸伝・天命の誓い」では、徽宗皇帝からの勅命が必要であり、腐敗宦官を倒す正当性が必要である)。開発途上国の国々では、軍事的クーデターなどの荒っぽい手段でよく政権が倒されるのだが、その後ミイラ取りがミイラ取りになる状況に陥ることが多い。これはそれらの国々にしっかりした制度がないことに起因しており、支配者層が代わってもシステムを自分たちのために利用しようとすることが多いからである。

ところが僕たちは民主的な選挙制度を持っており(日本の場合、票の改変はあまり見られないと思われるが)、選挙権を行使することによって選択することができる。そのような権利を日本は利用していないのは、以下のデータを見ても明らかである。こうなると少ないがグループ化した人々が選んだ人たちの候補が選ばれやすくなり、その結果が現政権の安定多数になっているということを知っておいた方がいい。棄権すればするほど、現政権にとっては有利に働く。もし不満がある人たちは、選挙に行くことで(それが自分にとって最良ではない結果だとしても)、変えることはできるであろう。少しずつ自分たちに良いと思われる候補を選択し、社会の腐ったリンゴ化を防ぐ方向にするために、僕たちには選挙という手段が残っている。どういう社会をデザインしたいのか、僕たちは一度立ち止まって考える必要があるだろう。

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