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「会話」と「対話」を再定義してみる

この違いについては、良く色々なところで目にします。一般的には、企業における「会話」と「対話」です。この違いについて、ビジネスシーン、演劇、音楽、スポーツでの活用を通して、私なりに改めて定義してみました。

広辞苑では?

会話:二人あるいは小人数で、向かいあって話しあうこと。また、その話。
対話:向かい合って話すこと。相対して話すこと。二人の人がことばを交わすこと。会話。対談。

英語表記では?

会話conversation 
対話dialogue  ⇔ monologue

日本語では、対話は会話に内包されるイメージです。dialogueの対義語は、monologue(一人で話すこと)である部分は、理解する上でヒントが隠されていそうです。

ビジネスコミュニケーションでは?

対話とは、関係性を築くためのコミュニケーションの意味合いが強いことがわかります。「会話」との大きな違いは「意味」を共有できているかどう かにあるようです。これは色々な記事があるので、検索してみてください。

演劇の世界では?

平田オリザ先生によると、
会話:価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。
対話:あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるそのすり合わせ。

演劇においては、「対話」を表現することに工夫があるようです。例えば家族が「会話」をしている。この会話の中で、お父さんの職業を伝えたい時、子供に「お父さん、仕事なに?」と聞くわけにいかないので、劇作家は、第三者を登場させます。第三者との会話の中に、「近頃は銀行も大変でしてね」と言った台詞をいれます。こうやって無理なく客席に伝えていくようです。
平田オリザ先生曰く、親しい人同士でも価値観が異なると「対話」が起こるとのことです。例えば、忠臣蔵。関ケ原の戦いから100年経過して、サラリーマン化した武士は、きっと普段は「会話」をしていたと推測できる。しかし「赤穂藩おとりつぶし」という大きな運命に直面すると「武士道とはなにか?」と考え始める。これにより、成員一人ひとりに価値観、世界観が、表出し、それがぶつかりあうことで、ドラマが展開していくとのことです。

音楽の世界では?

音楽の世界で「対話」は、これはJAZZのフリーセッションがモチーフに良く出されます。幾度となくジャズの歴史に革命をもたらしたトランペット奏者、マイルスデイヴィスは、演者の創造性引き出し、JAZZの可能性いかに広げることを考えていました。
1959年代表作の一つ『カインド・オブ・ブルー』を制作では、これまでのコード進行に頼る楽曲ではなくスケール(音列)を指標とした手法、いわゆるモード・ジャズの方法論を示しました。モードジャズの特徴を簡単に説明すると、フリーソロの際に演者がコード進行に縛られて使える音が制限されていた状況を、曲を構成する為の簡単なルールだけ決めて、ソロの自由度を高めたものです。演者同士がお互いのソロパート(即興)を通して、曲を練り上げていきます。この取り組みが「対話」であり、マイルスの決めた簡単なルール人選がそれを可能にしたのだと思います。
ちなみに、音楽の「会話」は、それらのコンテンツを内包するメディアとしての機能考えました。例としては、番組や媒体、ライナーノーツや音楽雑誌など多数の人間に伝えるメッセージや情報発信です。

スポーツの世界では?

スポーツの世界で注目したいのは、身体感覚です。アスリートは、「対話」という言葉を身体のコンディションや環境分析の比喩表現として使うことがあります。例えば「体と対話する」「氷と対話する」「波を対話する」「山と対話する」などです。
ご存じのイチロー選手は、「天才は、なぜヒットを打てたか説明できない。ぼくは、きちんと説明できる。だから天才じゃない」「視力は悪いが、動体視力になるといいです。こういうところは自分で能力をみつけないといけません」と発言されています。このようにアスリートは、「対話」を通して「メタ認知」を高めていることが窺えます。
一方、会話については、チームスポーツにおけるコミュニケーションでしょう。チームとして目標を設定して、連携をとる為の「手段」ではないでしょうか。。

まとめ

MICEになっているかは別として、キーワードを抽出して概念化してみました。
<抽出キーワード>
会話:
人選しない、ルールがない、具体的、共同性・協同性、分析、価値の伝達

対話とは:
人選する、ルールがある、抽象的、創造性・協働性、メタ認知、価値の表出

<概念化>
以上から、
対話とは、対象に問いかけをして「価値の創出」をすること
会話とは、対象にメッセージを伝え「価値を共有」すること
対話には、自身を高次元に引き上げようという意志を含めてみました。

感想

自分で色々調べながら感じたことは、コミュニケーションの日本語はなんだろう?でした。「対話」は何となく比喩表現があるので、イメージしやすいものの、「会話」は解釈の範囲が広すぎて意味づけが難しかったです。なんとなく、内包的な対義語に記載しまいました。苦し紛れ感ありますね(笑)
視点を変えると、それだけ空気や意図を読み取る能力が長けているハイコンテクストな環境で生活している、コミュニケーションを表現する言葉が乏しいんだなと気がつきました。コミュニケーションって横文字ですからねー、何かと使い勝手が良い。私の語彙力が無いだけかもしれませんが(笑)

「皆さんの考えるコミュニケーション能力とはなんですか?」

最後までお読みくださりありがとうございました!


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