自分の思いを飲み込む

僕は多分いつもこうしてきた。人の気持ちを100%理解することはできないし、その人の気持ちは積み重ねられてできたものだと思う。
障害を持つ人に手を差し伸べるの必要なことだと思う。それが差別だと言われると、公平性の担保などできない。サービス業をしていて痛感する。自分の働く現場でもそうだ。フロア間の移動は階段になっている。もちろんベビーカーや車椅子の方が来店されたら、僕ら上のフロアで働く人間は1階へ赴く。それは当然なことだ。
稀に何故エレベーターがないのか?と言われる。メーカーとしてのブランドイメージを保つための配慮によるところなのだとは思う。普通に考えたらエレベーターがあって然るべき、ちゃんと上の人に言いなさいと怒られたこともある。しかしどれだけ僕が訴えても変わることはなかった。なぜならメーカーの言うことは絶対なのだ。
そこが大変なところだ。怒りの矛先を権限の持たない平社員に向けても変わらないんだ。もっと権力の強いところに圧をかけてくれよと願うばかり。
その方が本人にしても、会社にとってもよろしいかと。
じゃないと、サービスが過剰になる。
多分どんな仕事しててもみんな少しは思うんじゃないかな。お客様のことを考えてやったことが過剰なサービスで、それが2回目から当然になって。でも本当はそのスタッフさんの善意で成立していたことが当たり前になると、通常のサービスを受けた時あの会社サービス悪いってなる。線引きが難しいよね。

善意は善意だし当たり前じゃない。たまにヨーロッパはとかアメリカはって言う人がいるけど、大差ないと思う。何より引き合いに出すエリアが広すぎる。日本人のイメージは謙虚で親切だと聞いたことがある。もし日本人全員が謙虚で親切なら多分自殺者もこんないないだろうし、偉い人も脱税しないんじゃないかな。

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