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短編小説「始まりは」

始まりは、ほんの少しの音と音の重なりのずれだった。私は、心の中で少しだけ動揺する。音楽ホールの大多数の聴衆は、この程度のミスに気づくことは無い。しかし、その聴衆の最前列に陣取っている審査員たちは、きっと気づいただろう。減点方式で評価するタイプの審査員にとっては、悪い印象を与えたに違いない。

私はピアノの演奏の最中に他のことを考え出した自分に気づき、更に動揺する。私は、いま演奏に集中していない。そのことを意識しだした途端に、手と足の連携がうまく行かなくなる。ペダルを操作するタイミングがずれて、長音の終わりが濁ってしまった。脇の下に流れる冷や汗を感じる。私は、ますます演奏に集中できなくなっている。


その日の帰り道。私はずっと足元を見ながら歩き、悔しさを噛み締めていた。私は、コンクールの本番に弱いタイプだ。練習では完璧に弾ける曲も、本番では些細なことから集中力を失い、曲を崩してしまう。本選まで通ったコンクールもあるけれど、入賞はできなかった。もう後が無い。音楽高校の受験で高評価を得るための実績を作るには、次こそは入賞しなくてはならない。

その間、スマートフォンの振動が断続的に続いていた。メッセージングアプリのグループチャットのやり取りが弾んでいるのだろう。鬱陶しく感じながら私は、足を止め、スマートフォンを覗き込む。友達に誘われて所属している、年に数回参加しているボランティア活動のグループチャットで、明日の老人ホームへの慰労訪問の詰めの調整がされていた。

ボランティア活動の実績は、一般の高校受験を考える際には、少しは実績として考慮されるだろう。そう思って、私はボランティア活動を続けてきた。それに合唱部の裕貴くんが参加しているのも大きなポイントだった。裕貴くんは、昨年の学内の合唱コンクールのピアノ伴奏で弾いた、私の演奏に感激し熱心に褒めてくれた。褒められることに慣れていない私にとって、裕貴くんの率直な褒め言葉は大きな支えになった。私はスマートフォンを両手で持ち、親指で文字を打ち込む。「明日は、私も参加するね」


三月の終わりの日曜の昼前。私は、ボランティア活動のメンバーと合流し、電車とバスを乗り継いで老人ホームへとやってきた。この老人ホームの運営母体はキリスト教の団体だ。老人ホームの建物の隣は教会になっている。十字架の掲げられた建物から信者と思われる人たちがぞろぞろと出てきた。裕貴くんが説明してくれる。「今日はイースターという特別なお祝いの日なので、教会の礼拝が行われているそうです。老人ホームのお年寄りの方々も礼拝に参加されています」

私たちは、教会の牧師に案内されて、老人ホームの広間に着く。そこは様々な飾りつけがされて、ちょっとしたパーティー会場のような雰囲気だった。中央のテーブルには丸い卵の殻が沢山カゴに入っている。そして、カラフルなマーカーや絵の具なども用意されている。どうやら、この卵の殻をお年寄りの方々と一緒に彩り飾り付けることが私たちのボランティア活動の一つになるようだ。

お年寄りの方々も集まってきて、挨拶もそこそこにテーブルの丸い卵の殻のデコレーションが始まる。ここのお年寄りの方々はみんなにこやかな笑顔だ。義務感だけでやってきた私にとっては、このような楽しそうな笑顔をしたお年寄りに会えたことを嬉しく思った。私は少しテーブルから離れて、遠巻きに皆を眺めていた。私は、楽しそうに交流している皆を見ていると、コンクールに落選したショックでトゲトゲしている心の痛みが少しずつ静かになるのを感じた。

裕貴くんが、私のところにやってきて声をかける。「麻衣さん、そこにオルガンがあるよ。もし良ければ、麻衣さんに伴奏して貰えないかな?」「えっ」「ここは教会だし、今日は特別な祝祭日だから、讃美歌の伴奏をして貰えないかな。お年寄りの皆さんも普段から讃美歌を歌っているそうだから、喜んでもらえると思うんだ」「そんなこと急に言われても練習もしていない曲を弾くのは……」「讃美歌の伴奏はそんなに難しくないよ。麻衣さんなら、すぐに弾けるはずだよ」「うーん……。私の伴奏があったら、裕貴くんは嬉しい?」「もちろん!麻衣さんの演奏に合わせて歌うのはきっととても楽しいよ」

私は、半ば裕貴くんに押し切られる形で、オルガンの前に座る。裕貴くんと牧師はどの讃美歌が良いか相談している。私は、小学校の音楽の授業の伴奏以来、久しぶりに弾くオルガンの感触を懐かしく感じる。ピアノとオルガンは、同じ鍵盤楽器ではあるけれども、楽器の構造が異なるために、色々と弾き方に違いがある。私は、その違いを思い出しながら、しばらくオルガンを弾いて感触を確かめた。

裕貴くんと牧師の話し合いは終わったようだ。「麻衣さん、讃美歌の三二四番『主イェスはすすみて』の伴奏をお願いします」裕貴くんは、楽譜を譜面台に置いてくれた。裕貴くんの身体が私の顔の近くに来る。私は、微かに頬と耳たぶが赤くなったのを感じる。私は、その表情を裕貴くんに悟られないように、あえて無表情を作り、「ト音記号にフラットが三つ。変ホ長調の曲か。暖かくて柔らかい曲だから、お祝いの日に合いそうね」と事務的に話しかける。「そうだね。この曲は、イエス・キリストが十字架につけられて苦しまれて亡くなり、その後復活されたことを讃美する歌なんだ。その出来事を記念して、後の世の人たちはイースターと呼んで、祝祭の日としたそうだよ」「そう。この歌を歌うことで皆さんの気持ちが明るくなると良いわね」「麻衣さんの伴奏と僕たちの歌ならきっとそうなるよ」

裕貴くんは、皆さんの前に立つと讃美歌の歌詞の意味を説明してくれた。私は、それを心に留めて、目を瞑り呼吸を整える。オルガンの鍵盤に指を添える。譜面に目を向けると、心の中で讃美歌の旋律が静かに流れ始める。私はゆっくりと讃美歌の前奏を弾き始める。オルガンの音色が広間に響き渡る。お年寄りの方々と裕貴くんたちの歌声が、私の伴奏に重なる。

「主イェスはすすみて 十字架につき、くるしみたまえど われら知らず」
歌声は、イエス・キリストの受難を思い起こさせる。私は、さっき裕貴くんが説明してくれた出来事を想像し、イエス・キリストの苦しみに心を寄せながら、伴奏を続ける。

「われらのつみとが 主はにないて、 かなしみたまえど なげかざりき」
イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために十字架につけられたと裕貴くんは言っていた。イエス・キリストは、ご自身の命を私たちのために捧げられたのだ。その尊い行為には、私たちへのどれほどの愛が込められていたのだろうか。

「この世のやみじの そのさなかに、 ひかりといのちを 与えし主よ」
イエス・キリストは死んで闇の中にいらっしゃる。そのさなかでも私たちに光と命を与えてくださる。私は、フィナーレに向かって、伴奏の音色に力を込める。

「十字架の主イェスよ、よみがえりの ちからとよろこび あたえたまえ」
イエス・キリストは、死の淵より蘇った。この出来事は、私たちに死からの復活の力と喜びを与えてくださるという希望につながる。皆の喜びの歌声が重なる。イエス・キリストの復活を喜ぶ思いが歌声に力を与えているようだ。

「アーメン」
讃美歌を歌い終える。しばしの静寂の後に、皆の温かい拍手が和やかに広がる。

裕貴くんが近づいてくる。「麻衣さん、君の伴奏で歌えて本当に良かった。今の君の演奏は、コンクールとは違う素晴らしさがあったよ」私は、はにかみながら答える。「ありがとう」

裕貴くんの後ろから、品の良い身なりをしたお年寄りの女性が私に近づいてきた。女性は私の手を優しく握るとこう言った。「あなたのオルガンは本当に素敵でした。あなたのこの両手は、きっと神様から音楽の才能を贈られているのね。あなたの演奏はこれからも多くの人に感動を与えることでしょう。どうかこれからも音楽を続けてくださいね」女性はそういうと柔らかい表情で私を見つめて、皆のところに戻っていった。

私は、女性の言葉に感激したのだろう。少し視界が滲んでいる。さっきの演奏はただの伴奏ではなかった。歌と音楽を通して祝祭の感動を分かち合ったのだ。これは私にとっては、初めての経験だった。人と優劣を競うコンクールでの演奏も大切だけれど、こうして皆と音楽を通して思いを分かち合うことにも、大きな意味があると気づいた。私は、音楽を通じて皆の心を一つにできたことと、私の演奏が神聖なイースターの日に誰かの役に立てたことを嬉しく思った。



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