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何故、当店は自粛しないのか。

本日より大阪府下にて、休業要請のお達しが出た。
もちろん、コロナウイルス拡大防止のためである。
当店が該当するバーという形態は休業要請のド対象であり、居酒屋などの他業種も酒類の提供は19時までで、開店時間は20時までとの要請である。
当店はその要請に対してハッキリと拒絶の意志をこの場に示したい。

今、国からのさまざまな貸付や、給付金も殆ど本決まりとなっている。
この要請に対し、大阪府も国の給付に合わせてプラスする形で検討しているとの事だ。
しかし、いや待てよと。検討している段階で、何故要請だけは可能なのか。
ーーー順序がまるで、逆では無いか。
そして、先の貸付や給付金も企業体などであれば融資が緩和されたりしているが、当店のような零細、吹けば飛ぶような最底辺酒場はそういう恩恵には与れない。
そして、給付金を得られたところで焼け石に水のような額である。
そういった現実的な対策が無い中の要請に応える義理は全くない。よって一切自粛や要請に沿った営業時間や休業も行わない。

ここまでは全く、まだ世間受けしそうなお話であります。
-少し込み合った(オムズカシイ)お話が苦手な方に理解を求めるほど僕は大衆に対して希望を持っていないので、そんな方はここでどうぞお帰りください。-

それ以上に、仮に満足な補償があったとしても無理してでも開け続けたい理由、思想が僕にはあります。
日本は諸外国と違い、罰則や禁固刑をも含んだペナルティーを伴ったロックダウンが法的に出来ない現状があります。
これをどう見るか。
この国は戦後、国家による強権の発動に対して、アレルギーとも呼べる位に忌避をしてきました。
それは言わずもがな、戦後民主主義的な戦前への反省や、うがってみれば冷戦構造と対米関係における日本の存在価値その他様々な理由が複雑に絡み合い、現在(いま)があるわけです。
その点から見れば、どんな非常事態であれ、諸外国と違い国が国民に対して、ある日突然行動や生活を制限するということがやりたくても出来ないからこそ、非常事態宣言を出そうが全て「要請」にしかならないのです。
強制ではないわけなので、皆仕事へ行こうが、生活必需品を扱っていない店へも行こうが、すべて自由。
ここに来て、全く吐気を催す価値転換が行われました。
リベラルや左翼的な人々は一気に国の無策とザルな部分を叩きまくり、保守派は他国より頑張ってるんだ!と太鼓を叩き続けている。
いや、前者は国家の強権発動を青筋立ててキレ続けてたやろと。後者は強権発動のために策謀を巡らせろよ!と、戦後民主主義の欺瞞性やここに来て極まれり!!!

……とまあ、話がだいぶ逸れました。
本末転倒ではありますが、僕は与党がどうだとか、選挙がどうだとか、所謂民主主義に全く興味がないのです。
勝手に崩壊していく様を、嬉々として見ているに過ぎない人間です。
そんな僕が何故、たとえ満足な補償があったとしても自粛や要請に従わないか。
その答えは「空気」、「雰囲気」への強烈な拒否感にあります。
罰則が無くとも、補償が無くとも、とにかく言われた通り自ら自粛する。
経済的に営業し続けていれば来客数減で稼げない、より赤字になるという事ならば、資本主義の論理(僕はその論理が嫌いですが)理解ができます。
ただ、そうではないのに、何故自粛するのか、何故要請に対して行動や思考を制限できるのか。
ここが全く理解できない。
コロナウイルスだけに限らず全ての細菌やウィルスは無菌室に暮らし、完全な防護服で身を包んで生活しても防げないかもしれないようなものです。
死ぬのが怖いのは、僕も同じです。
人へ移すかもしれないという恐怖感と他者への慈しみは理解できます。
ただ、その慈しみを大義名分として使うだけで思考停止はしていまいか!

「空気」、「雰囲気」というものは凄まじく恐ろしいものです。
そういったものが、かつてナチス(ナチスだけで無く当時ヨーロッパでは)ユダヤ人迫害や虐殺の下地を作り、関東大震災では朝鮮人や反体制活動家が虐殺されたのではないか。
空気や雰囲気が全く無い中でそういう一方向へのグロテスクな暴力性の暴走は起きようがない。
全てには脈々とそこまでいく理由があるのです。
マスクをしていなければ白眼視、店を開けていれば不謹慎!
全く疫学や科学的にも有効性の低い(あくまで確率は下げられるだけで0にはなりようがない)客へのアルコール消毒の強制や間隔を開ける、などの対策は今日もそこら中で当然のように行われています。
とりあえずやっておけば良いだろう、私達は守っていますよ、リスクヘッジや問題が起きたときのためにも、ほらほらこうやって対策(らしいポーズ)をしていますよ。
そういった「とりあえずのポーズ」がどれだけこの国に蔓延しているのか。そしてそれは、強いては今の政権や自治体の失笑すらしてしまう無策に繋がっているとも言えるのでは無いか。
もうその全てに対して、僕は違和感と嫌悪感があります。
別にこちらとて、感染を拡大したいわけがない。
ただ、仮に生き死にが関わっても譲れない、拒否してしまうものを僕は矜恃、はたまた美意識と呼びます。他者を大切にし、慈しみから自制、自粛している人を攻撃、批判しているのではありません。
上記の目線がなく、ただ「まあベターやし、怖いし、控えよう(笑)」みたいな奴らが僕は堪らなく憎くて、憎くて仕方がない。
もはや、そういう奴らの時代が終わりを迎える事は間違いないでしょう。
自分の頭で考え、悩み、情報を取捨選択し、論理的に倫理的に間違っていても貫いてしまう変えることが出来ない何かを持った人だけを、僕は今、人間と呼びたいのです。

よって、僕はぜってえに自粛なんてしてたまるかよ!要請なんか頭からお断りや!

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