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彼女たちにとってのトパーズの指輪【ラブ&ポップ】

普段は映画コンテンツに触れることはあまりない私だが、そのなかでも印象がものすごく強いものがある。
その一つを挙げるとするなら、

村上龍原作・庵野秀明監督 『ラブ&ポップ』

という映画だ。

『ラブ&ポップ』を知ったきっかけは中学生か高校生の時だったと思う。

そもそも村上龍を知った経緯が、母親の本棚から『コインロッカーベイビーズ』を手に取って読んだというところで、その後も中学生で『限りなく透明に近いブルー』を読んだりもしていた。

今考えるととんだオマセさんではあるが、このとき感じた衝撃や体験が現在の自分に影響を与えたのは間違いない。

閑話休題、映画の話に戻る。

『ラブ&ポップ』では、主人公の女の子がデパートでトパーズの指輪を見かけ、閉店までに買うために友達と4人で援助交際をするという筋の話だった。
ネタバレは勿論避けるが、この作品では「主人公の女の子が周りに影響されながら様々な経験をし、傷つきながらも少し大人になっていく過程」を注意して観てほしいと思う。

高校生というまだ青く若い女の子にとってこのトパーズの指輪がどれだけ価値あるものに感じていたのか?
彼女が経験した出来事はトパーズの指輪以上に価値ある経験だったのか?

彼女たちが作品を通じて経験する出来事は、未熟な彼女たちにとってはあまりに不釣り合いなものだと思った。
だが多分、この経験は彼女たちにとって大きなものだったはずだ。

それともうひとつ。
私はエンドロールにとても感動した。

主人公と友人4人が制服姿で渋谷川を歩く映像に、彼女たちが歌ったであろう「あの素晴しい愛をもう一度」が流れるのだ。
(たしか主人公以外も歌ってたっけ……ぐらいの記憶、間違っていたらすみません……。)

慣れないような初々しい歌声は賛否両論だと思うが、私はそこがとても好きだ。大人に成りきれない彼女たちを体現するには十二分すぎる。

この作品を見た後、そこはかとないどうしようもなさを感じた。

それは先述もあったが「トパーズの指輪の価値」と「彼女たちの経験の価値」が天秤にかけられているように感じて、当時そこについていろいろ考えていた。

私たちも何か取捨選択をするときに物事を天秤にかけるが、主人公にとってのトパーズの指輪のような、そういった特別に見えるものを捨てきれないことは全くないわけでない。
それを選択することでなにかを失うことだってある。
それをわかっていても、その欲求に勝てないことは私だってあった。

だからより苦しくなるのだ。

後にこの感覚を自分自身の過去に当てはめるようになり、しばらく自分も苦しかったことがある。その苦しみさえ今では過去の話だが――。


彼女たちが強くなったように、私も強くならなければ。
私にとっては自分の価値観が変わるきっかけの作品だった。

#映画にまつわる思い出


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